天声人語 1994年10月10日
2007年8月2日掲載
2019年2月27日リンク更新
 秋の空が澄んでくると、冬にかけて、楽しみが一つふえる。通勤の途中、きまった場所で、富士山をくつきりと望める日が多くなるのだ。春と夏は、こうはゆかない。

 「一度も登らぬばか、二度登るばか」などというが、見る分には、富士山は何度眺めてもすばらしい山である。端正で優雅なさまが、えもいわれぬ風情だ。海外から飛行機や船で日本に近づく時、雲海の上にそびえる富士の頂は、大きな門標のように見える。

 神奈川県立瀬谷西高校(注・当時)で社会科・地理を教えている田代博さんは、かつて高校生に、写生ではなく、富士山の絵を措かせたそうだ。すそから山頂にいたる線の角度をどのくらい正確に措くかに興味があった。ほとんどの生徒の絵が実物より急角度だった。頭の中では北斎のように描いているらしい。

 そそり立つ富士山は、どのくらい遠くから見えるものだろう。田代さんが東北電力の広報誌『白い国の詩(うた)』十月号に発表した調査によると、最も遠いところは和歌山県の那智山周辺、次が福島県の日山(ひやま)だという。富士山が見えるのは十九の都県に及ぶというから(注・現在では二十都府県、かなり広い範囲である。

 富士見町、富士見峠のように「富士見」がつく地名は、全国三十一の都県にあるそうだ。実際には富士山が見えない県にもあることになる。これは地元の「○○富士」の場合もあろう。見えないが「富士見たい」という意味の「富士見台」もあるとか。

 田代さんと、富士山が好きな仲間たちは、パソコンを使って「富士山可視マップ」をつくっている。画面の地図上に、富士山が見える地域と見えない地域が現れる。今月二十日、パソコン通信ニフティサーブに「山の展望と地図のフォーラム」を発足させる。

 机上のコンピューターで山の可視圏などを割り出し、足で現場に赴く人々。「富嶽三十六景」のころとはまた違う富士の味わい方があるらしい。
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