.教育をめぐる諸問題で今、一番関心のあること

番号は便宜的なものです。

 教育問題で一番関心があるのは、自殺である。自分で自ら命を落とす児童生徒が今年の文部科学省の問題行動調査で200人だった。この数字は、前年度より44人多い。200人以上になるのは25年ぶりだった。自殺の原因として「不明」(58%)を除くと、「父母の叱責」(12%)、「進路問題」(10%)などが多かった。大津市のいじめによる自殺を含め4件だった。文部科学省が認めていない自殺もあると思う。今ある状況から逃げ出したいと思う気持ちが自殺しようと思うきっかけだ。自分ではどうすることができなくて、誰にも相談できない状況が背景にある。周りの人間も見て見ぬふりをしている。そして、誰もその人を助けようとしない。それが、原因だ。自殺しようとする児童や生徒に、相談できる場所を作ることが重要だ。在ったとしても、そこを知らないことがあると思う。それを、学校の教師や地域の人達が児童生徒に教える機会をつくるべきである。いのちに関しての授業をすることも大事だと思う。教師が忙しくて無理なら、地域の方々に助けてもらって開くこともできる。地域と教師の連携も不可欠な要素だ。自殺は、他の諸問題に比べ、対策すれば防ぐことができるものだと思う。自殺する生徒児童が一人でも減るようなよい対策をこれからも考えていきたい。 

 教育をめぐる諸問題で今、一番関心があるものは、やはり児童。生徒がストレスを溜める環境にあることである。
大津のいじめによる生徒の自殺のニュースがこの夏、世間を揺るがした。そして公立、私立を問わず次々と発覚するいじめや自殺のニュース。こういった中で、学校の対応が問われているが、私は子どもたちの家庭環境にも目を向けるべきだと考える。現在の家庭環境は果たして子どもたちにとってよいものだろうか。両親の共働き、塾通い、外で遊ぶ機会の少なさ、子どもたちがストレスを溜めてしまう悪循環が揃っていると私は考える。
 また、ソーシャルネットの普及による影響もあると思う。フェイスブックやツイッターなどの利用が低年齢化している。先日、あるテレビ番組で、韓国の生徒のネット依存について特集していた。こういった状況に陥る背景には、受験などの親からの重圧の受けていることが原因だと番組では分析していた。ソーシャルネットには複数の人々と繋がることができる長所がある一方、自分を常にさらけ出すという短所もある。家に帰っても一人、しかしネット上では一人ではないというパラッドクスが子どもたちを不安に陥らせているのだと思う。こういった不安から生じるストレスが最悪の場合いじめや自殺に繋がっていくと考える。
 こういった中で、今私たちがしなければいけないことは、顔と顔を合してコミュニケーションをとることの重要性を伝えることだと思う。普段家庭の中でなかなか子どもと会話をする時間の取れない場合でも、休日は一日中子どもと過ごすなど工夫することが子どもたちにとってこころの拠り所を作る良い機会なのではないか。児童、生徒のストレスを溜める環境を軽減できるような対策がこれからより必要であると私は考える。

 私が今一番関心のある問題はMonster Parentsについてといじめの問題についてです。 Monster Parentsの問題に興味を持った理由は今年の9月に母校の文化祭にお邪魔した際、 先生方に来年教育実習にてお世話になるのでよろしくお願いしますと挨拶するたび、先生 方が今はMonster Parentsが多くてとても大変なのよとお話くださり、実際にまだ在学中 の後輩に聞いてみると生徒側にも噂としてその存在が認識されていたことです。これは、 Monster Parents と思われている親の子どもにとっても、先生方にとっても、周りの生徒、 周りの親にとってもいい状況とはいえないのではないかと思っています。また塾で講師を 今年で3年続けていますが、顧客という視点なのでまたMonster Parentsとはいえないの かも知れませんが、なかなかパンチのある親とお話をしなければいけない状況もとても多 いので、この問題に興味があります。
 次に、いじめの問題についても最近マスコミでとりざたされるものとなっていますが、 生徒が同じ立場の生徒をいじめて自殺に追い込むということは本当に理解しがたい問題だ と思います。いじめている生徒自身が自殺に追い込むまでの半ば犯罪行為と、口論(本当 にこのように表現したらいいのか分かりませんが)の境界がわかっていない状態なのでは ないかと考えています。そして、いじめた生徒がそのまま社会に出て行くと思うと、怖い ものがあるなとも感じます。
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 私は「いじめ」について書いていこうと思います。
 大津市で起こった男子生徒のいじめから、この「いじめ」という言葉が日本中に大きく広がったと思います。しかしいじめは大津市の事件よりもずっと前から起っていましたが、なぜ大津市の事件でいじめの問題が大きく取り上げられたのか私はわかりません。いじめは人を傷つけるだけではなく、人を死に追いやってしまうとても怖いものだと思います。だからこそいじめについて深く考えていき、いじめが起こったときに何をすべきかを学びたいと思います。いじめはなくせるかという問いがよくテレビでも取り上げられて、議論していますが私はいじめをなくすのはとても難しいと考えます。いじめが起こる原因はたくさんあり、家族や友人などに対しての不満などからそのストレス発散として、いじめが起こったりといじめをなくすことの前にこれらの解決策を見つけないといじめはなくせないのではないかと思ったからです。
 しかしいじめが起こったから終わりではなく、いじめが起ったとしても、初期の段階で見つけ出して解決策を見つけていくといった対策をとっていくのがいいのではないかと思います。いじめを受けた人は一生いじめを受けた過去を引きずりながら生きていくということを考えると、とても胸が痛みます。いじめの加害者はいじめた過去は忘れている可能性もあります。いじめたことを深く反省し、絶対にもういじめはしないと心からそう思ってくれるように指導していく必要があると思います。
 いじめられて毎日辛かったけれども、それでも私(僕)は今の生活を楽しんでいると言っている私の友人がいます。その友人の過去にあったいじめの話をきくと、私は何もその話に対してなにも言えませんでした。ドラマでよく見るいじめのシーンと同じことをその友人もされていたので、本当に驚きました。もし私が教師になって、自分が担任しているクラスにいじめがあったとしたら、これからどうしていくかをしっかりと考えて、いじめの被害者が安心して学校に来られるようにしたいと思っています。まずはその前に、大学で教師に必要な知識や思考などをしっかりと学んでいき、実践できるようにしたいと思います。

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 これは、やっぱりいじめですね。なぜかというと、いじめにより自殺にまでいたるケースがあるからです。命がなくなってしまっては、もうどうしようもありません。私がいじめについて興味を持ち始めたのは、知っていると思われますが、こないだの滋賀県大津市の中学男子生徒がいじめにより自殺した事件がニュースで公になったころです。最初は、なんの事件に関する詳細がつかめない状況でしたが、後々になって実は教師や市の教育委員会はいじめの状況を知っていたというじゃありませんか。それでいて相応の対応をほとんどしていないです。これには驚きました。
 また、全校アンケートにより、いじめの存在に気付いている子もいました。それでいて自殺の原因がいじめではないとどうして言えたものでしょう。確かに自殺の全ての原因はいじめだ、とは言い難いかもしれませんが、ほとんどはそうだと私は思います。なんでもっと誰かが助けの手を必死にのばしてやれなかったのだろうと思います。私も小学校の頃いじめにあいました。ただ、私の場合、相手から避けられ、陰口を言われても怖くて言い返すことができなくて、そのままでした。あまり思い出したくありません。
 しかし一方で、いじめられることは良いと言っている人もいます。朝日新聞にいじめられている君へという記事が今よく掲載されていますが、そこでもそういう意見がよくでます。私はいじめが良いこと?そんな。と思っていましたが、よくよく考えてみると、いったん自殺に至るようなケースは別として、いじめが起こることでいじめを当事者同士で解決するときに、それを原点に人に対して不快にさせることはどういうことか、どうして相手を傷つけたのか、など人間関係について学べるところがあると思いました。いじめはこれから先もずっと消えない社会の問題だと思います。学校を卒業して社会になってもそれはあります。避けられないものだとわかって勇気をもって色んな場で行動すれば、少しはいじめに対して気が楽になるのでしょうかね。
 いじめはほんのささいなことから起こります。ちょっと人と違ってた(髪の毛、体つきなど)から、からかってそれがいじめになった、なんていうケースが多いのではないのでしょうか。そう考えてみると、いじめって個人の価値観から生じるものなのかなって思いました。こないだ生徒指導という教職課程の授業の先生が言っていた言葉にとてもはっとさせられたのでここに書きます。「あなたは、あぁ、私ってあの子たちからは良く思われてないな。一緒のグループなんてやだな。でもこの子たちからは良く思われているし、一緒にいて楽しいな。って思うことがよくあるでしょう。でもそれはね、あの子が悪い人、この子が良い人ってわけではなくて、たまたまあなたのことを良くないって思う人がいて、あなたのことが良いって感じる人がいる、そういうことなんだ。」・・・これを聞いたとき、私はすごくはっとしました。
 私はいじめている人を見ると、この人悪い人だなと決めつけてしまうことが良くありますが、こういう観点から考えると、少しいじめに対して寛容になれた気がします。いじめている人はきっとその子(いじめられる側)のことが気に入らなかったのだろう、と思えば少し気が楽になりませんか。
 しかし、話題を大津市の自殺の事件に戻しますが、やっぱりいじめはいじめでも自殺にまで至るとそれはもう許しがたい罪のようなものになってしまいます。自殺にまでつながらなくするためには、やはりいじめを早い段階で見つけ、解決させなければいけません。いじめは心の問題でもあるので、扱うのもとても大変だと思います。日ごろからクラス内をよく見ることも大事ですが、陰湿ないじめも増えてきていますので、先生が生徒個人個人と面談、相談する機会を
2ヶ月に一度くらいはつくったり、それができなければ個別にアンケートをとったり、気になる子に勇気をもって聞いてみたりすることが対策につながるのではと思います。
 表面上見ているだけよりも、生徒と先生が直接に触れ合わないとわからないこともあると思うので。いじめをなくすことは不可能ですが、いじめが実際の学校の現場で起こっていたら、それを解決に導き、次にどうつなげていくかを考えていくことが大切だと私は思います。
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 今、ニュースを見ていても自殺する子どもが絶えません。これは、様々な事情があると思いますが、特に多いのがいじめに関するものです。小学校の時に、一人の子がいじめられていたのを思い出します。彼女は、汚いなどという“汚物”のような扱いを受けており、なぜかみんな近付きませんでした。しかし、私はそんなイメージを持っていなかったので普通に接していたのですが、ある日その子に“ありがとう”と言われたのをよく覚えています。いじめを受けている際、誰か一人でも自分を理解してくれる友人や家族が居れば、頑張れるのではないかと、私はこの経験で感じます。
 
 しかし、最近のニュースでは、教師も混ざっていじめを行っていたなどと、考えられない世の中になったと感じます。教師になった手前、助けを求めている子どもがいたら助けるのは、当たり前の行為ではないのでしょうか。それとも、その手助けをすれば何か学校や自分に不利でもあるなどと考えているのでしょうか。その場のノリだけで、いじめを受けている子どもを一緒になって、責めていいのでしょうか。日本でこんなにも心を病んでいる子どもが多いのは、きっと親や教師を含む大人たちが子どもに期待しすぎているからではないでしょうか。また、多くの人が幸福感を感じていないからではないでしょうか。
 
 心のゆとりが、今また無くなってきており、いじめるという行為に走る子どもが増えているのではないかと思います。都会では、自然に触れることや心の教育をする場が少ないことも、一因ではないでしょうか。心を大きく育てることが、勉強を熱心にすることにもつながるし、いざ社会に出た時に人間として一段と大きな可能性を持てるのではないかと感じます。社会が、子どもたちにこのようないじめる環境を作り、気付いても見て見ぬふりをする教師が、子ども達の未来を暗い闇にしていると感じます。今年、何事もなかったように終わることができたら、教師の役目を果たしたということにはならないと思います。もっと
10年先の子ども達をイメージし、教育にあたる必要性を感じます。

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 私が最も関心があるのはいじめ問題である。一時期に比べニュースになることは減ってきたが、教育現場において生徒が亡くなることが1件でも起きてしまうという事態は見逃してならない大きな問題であると私は考える。

 そもそもなぜいじめ問題が起きてしまうのだろうか。私なりに考えた理由は2つある。学級をリードする教師に生徒たちを惹きつける力と魅力がなければ、ただでさえ年齢の差がある教師と生徒の間には見えない壁ができてしまう。そうすると生徒たちは生徒たちの世界あるいは社会を持つようになる。その子どもたちの社会の中で上下関係ができ、いじめが起きてしまうパターンがまず1つ考えられる。2つ目に、教師と生徒の間に見えない壁ができてしまうことで生徒の本音や考えを教師が引き出せなくなってしまい、いじめのサインを見逃してしまっているというパターンも考えられる。これはどちらも、教師が生徒に寄り添えていなかったり、教師が生徒を授業にまたは人間的に惹きつけたりすることができていないから起きてしまういじめのパターンだと私は考える。つまり、いじめの原因は少なからず教師にあるのだ。

もちろん教師だけの力でいじめをゼロにすることは難しい。しかしいじめを事前に防いだり原因を絶ったりすることは教師にもできることだ。そのためにも教師は生徒たちと壁をつくってはいけない。積極的に子どもたちに話しかけたり子どもたちと触れ合ったりしてできるだけ“親しみやすい教師”になることが大切だと思う。教師が自分の腕を広げて子どもたちを自分の懐に招き入れ、“親しみやすい教師”になればこちらから「何か困っていることはない?」「最近学校はどう?」などの質問を気軽にできるし、生徒も抵抗なく答えることができるどころか、生徒から悩みを聞き出すことができるかもしれない。または生徒のほうから悩みを相談してくるかもしれない。いずれにしても“親しみやすい教師”となって生徒との信頼関係を築けば、教師と生徒の間の見えない壁が取り去られて生徒のサインに気づきやすくなっていじめを予防することができる。

いじめを受けている生徒はきっと何かしらのサインを教師や身の回りの人に発している。教師はそのサインを見逃さず、いじめを絶対許さないという強い姿勢でこの問題に取り組まなくてはならない。そのためにも、生徒に寄り添い共に問題を解決していけるような柔軟性や相手を受け入れる心を身につけていきたいと思う。

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 現在私の所属している英文科の特講授業で取り上げられている、英語教育における、イマージョン・プログラムについて、関心を抱いている。イマージョン・プログラムとは、第二言語をただ取得するだけでなく、その他の教科も学習している言語を使って学ぶ方法のことである。
 しかし、イマージョン・プログラムに対して懸念を抱いている点がある。というのは、小学生の時期というの最も日本語力や道徳力を学ぶために大切な時期に、英語で授業を受けることについてである。国際的な人材が重要とされているこのご時世ではあるが、英語を習得する前にまずは、母語をある程度のレベルで使用出来たり、日本人ならではの感性を持たせることが、大切なのではないかと思う。
 イマージョン・プログラムを行っている例として挙げられるのが、神奈川県相模原市にあるLCA国際小学校。学校の公式ホームページによると、「子どもたちが将来、国際社会の中で活躍するために本当に必要なことを学べる小学校です。日本人としてのアイデンティティーを持ちながら英語を使いこなせる人間を育てます。また、国際人として通用する豊かで力強い人間を育てるため、塾に通わずに中学校受験を可能にする指導をします。」とある。ここで言う「日本人としてのアイデンティティーを持ちながら英語を使いこなせる人間」をどのようにこの学校は育てているのかというと、日本語による国語指導に力を入れているそうだ。国語の時間を文部科学省の定める基準以上の時間をとっているようだ。さらにホームページによると、6年間を通じて作文指導に力を入れ、書くことを通して、考える力を養い,自分の思いを的確に伝えるこのできる力を持てるように指導していきます。」とある。このように私の懸念点の解消を試みているイマージョン・プログラムも中にはあるようだ。
  
しかしながら、私は小学生が受けるイマージョン・プログラムにあまり賛同出来ない。なぜなら、国語の時間のみの日本語の学習では、とてもではないが、全ての授業を日本語で受けいる児童に日本語力の面で敵うわけがないからだ。国際社会には英語力は不可欠ではあるが、日本で生き抜くため、または日本を外国に伝えるためには、何よりも日本語が大切だと思う。華麗な日本語力を持ち且つ、達者な英語力を持つ者が立派な国際人であるのではないかと私は思う。

 引用;LCA国際小学校|神奈川県相模原市/英語インターナショナルスクール|バイリンガル教育 | LCA国際小学校|英語イマージョン/神奈川県相模原市http://lca-elementary.com/english.html

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 私は学校という教育の場で最近いじめが多いとニュースをみて感じている。そして最近はいじめに関するドラマが沢山公開されている。(黒の女教師、GTOなど)そこで私はいじめについて自宅で録画されていた『ハガネの女2』というドラマのみていじめに対しての教師の対応について考えてみた。
 このドラマは、ある教室のお話で小学校の合併によりバラバラだった生徒たちが担任の先生の協力を得て、クラス内で団結して行く話なのだが、その団結して行く過程で様々ないじめが起こる。いくつかのケースを内容を抜粋したいと思う。

原作 ハガネの女2
作者 深谷かほる
出版 集英社
掲載誌 YOU

Case1 アスペルガー症候群の子ども 第二話より

 隣町の小学校から転校してきた子供の中に、一人アスペルガー症候群の子供がいた。
 アスペルガー症候群(アスペルガーしょうこうぐん、Asperger syndrome: AS)またはアスペルガー障害(アスペルガーしょうがい)は、社会性・興味・コミュニケーションについて特異性が認められる広汎性発達障害である。各種の診断基準には明記されていないが、全IQが知的障害域でないことが多く「知的障害がない自閉症」として扱われることも多い。なお、世界保健機関・アメリカ合衆国・日本国などにおける公的な文書では、自閉症とは区別して取り扱われる。精神医学において頻用されるアメリカ精神医学会の診断基準 (DSM-IV-TR) ではアスペルガー障害と呼ぶ。
 対人関係の障害や、他者の気持ちの推測力など、心の理論の障害が原因の1つであるという説もある。特定の分野への強いこだわりを示したり、運動機能の軽度な障害も見られたりする。しかし、カナータイプ(伝統的な自閉症とされているもの)に見られるような知的障害および言語障害は、比較的少ない。引用(ウィキペディアより)

隣 町からの転校を快く思っていない最初からいた子供たちは彼がアスペルガー症候群だということを知らないため、理解できず、受け入れることができなかった。そのため、頭がおかしいなどひどいことを言う。そのため、先生は子供たちにアスペルガー症候群のことを伝えるかどうか迷うが、子供たちが自分でその事実を受け入れることができると考えて子供たちに話してしまう。それでも子供たちはうけいれることができなかったが、最終回までには彼の症状を理解して、彼のできないことをみんなでフォローしてあげるようになっていく。

Case2 円形脱毛症の子ども 第三話より
 今回の話はある一人の男の子がクラスのリーダーグループの子たちからいじめられる話だ。いじめられた男の子は、家庭が貧しく経営が苦しくなってきたため、両親が言い合いばかりしていた。そのことによるストレスにより、彼の頭には十円ハゲができてしまった。そのため彼は学校にいつも帽子をかぶって登校していた。それを理由に、リーダーグループの4人組はそのことを知っていてからかったり、大声で囃し立てたりしていた。しかしその中で、いつもならばみんなと一緒にいじめたりふざけたりする4人のうち一人の男の子はあまり乗り気ではなかった。彼はいじめられている男の子とは幼稚園の幼馴染だったのだ。また、自分が幼稚園の時いじめられていたのを今いじめられている男の子に助けてもらったという過去があったのだ。
 
 先生はいじめられている男の子を励ますため、そしてかばうために、自分の髪の毛をはさみで切って、十円ハゲを作る。それにより少しは落ち着くが、今度は先生の見えないところでいじめたり、机に落書きをしたりと陰湿ないじめが繰り返されるようになった。そんな中、4人組の中のリーダーが1人乗り気ではないことに気づき、幼馴染だった友達をかばおうとしていることに気が付いてしまう。そこでリーダーはわざと彼に友人をいじめるように命令するが、彼にはできなかった。そのため、4人組から仲間はずれにされてしまう。彼は自分のしたことを後悔して、いつもいじめられていた友人と仲良くサッカーをしていた広場に行く。すると、友人はそこでサッカーをしていて自分をいじめた彼を快く迎えてくれた。「仲間外れにされるのがこわかったんだろ?別に怒ってないよ。」と優しく声をかけてくれる幼馴染に「明日一緒に学校行こうぜ。」と昔のように仲良く話す二人だったが、次の日またリーダーに脅されて、待っているいじめられた幼馴染を残して学校にいってしまう。そこで学校についた幼馴染はわざとその子に殴りかかり、喧嘩をしてリーダーが自分の友達をもういじめないようにと喧嘩をする。その真意を知らない友人は先生からそのことを教えられた。
 翌日、彼は長めに伸ばしていた髪の毛を全て剃り丸坊主にして登校した。そのため、人気者の彼が丸坊主にしてきたことで誰も円形脱毛症の彼のことをからかう人はいなくなった。


Case3 勉強をしている子ども 第八話より
 今回のケースは勉強をしているから、または学校のレベルの差で一人の子がいじめられる。この学校に通う一人の女の子はいつも学校で塾の宿題をしたり、受験の勉強をしたりと、友達と一緒にいることが全くない。しかし、それには理由があった。この子と仲の良い幼馴染は一緒に私立の小学校を受験したが、幼馴染は受かり、この子は落ちてしまいこの公立の小学校に通っている。彼女の目標は幼馴染と同じ中学校にはいること。そして、二人の通う塾は同じである。その塾で二人は仲良くしていたが、ある時、小学校のレベルが違うということで、彼女は仲間外れになってしまった。もちろん学校で勉強ばかりしているので学校にも友達がいない。塾でも友達がいなくなってしまった。
 そんな中、出た課題はクラスの班で何か調べて模造紙に書いて発表するというものだった。しかし、この子のいる班はなかなか進まない。そのため、放課後にも作業を行うことにしたが、その子は塾に行くといって帰ってしまう。そんな中、塾にいっても仲間外れにされるばかり。しかし、その時、同じ班の子が塾に向かうその子に声をかけた。「待っているからね。」とただこの一言だが、とてもこの子の心に響くのだった。一度塾に向かう彼女だが、かけられた言葉を思い出し、「やはり…」と学校に戻る。そこで、班のみんな謝るのだった。みんなは彼女の口から謝罪の言葉が出るとは思っていなかったのだが、許してあげて一緒に作業を進める。そのあと、受けいれられた彼女は声をかけてくれた同じ班の子にお礼を言う。
 その二人はもとの小学校は別の子供たち。だけど、このようにして違う小学校から来た子供たちとも仲良くなっていく。

考察

 まず初めに今回わたしがとりあげた三つのケースは誰かがいじめられるものだが、解決方法は三通りある。一つ目はCase1のように教師が間をとって和解させてあげること。二つ目はCase2のように干渉するけれど、みんなから見えるようにではなく裏で少しだけ手助けしてあげること。そして最後のCase3の場合、教師は全く手を触れていない。これは三つのケースの大きな違いだと思う。つまり、教師はいじめがあっても相手のことをみて自分がどうすればよいのか正しい道をきちんと選ばなければいけないと思う。もちろん子どもが思いつめてしまわないように助けてあげるのが第一だが、調べてみたところ、現在では多くの学校に心理カウンセラーいて、相談室が設けられている。もちろんこのドラマの学校にも設置されていた。もしそれがない学校ならば、子どもの心のケアも担任教師が一人でしなければならなかったが、この環境ならば、カウンセラーと二人でやっていけるため負担が小さい。そのかわりに、子どもたちが成長できるようにしっかりいじめの解決法を見極めなければならないと思う。教師がいじめっ子を注意して終了、解決ではその後逆恨みでいじめかえされるかもしれないし、いじめられた子どももなぜ自分がいじめられたかわからないはずだ。小学生には少し大変なことかもしれないが、とても大切なことである。手は加えるけれど、自分たちで解決するほうが、双方の絆は深まると思うし、もしまた同じことが起きた時、自分たちで解決しようとすると思う。

 そして今回の珍しいケースとしてアスペルガー症候群の子どもを周りの子が理解できなくて苦しむことだ。説明したとしても、理解できるのか、そもそも、みんなにアスペルガー症候群のことを言ってもいいのか、など問題はたくさんある。アスペルガー症候群は特定の症状がでるのではなく、人によってそれぞれ違う。それを見抜くのも学校では教師の仕事である。苦手なこと、得意なことがはっきりしているため、他人の気持ちがこうだからこうする、という考えはなく、自分がこうだからこうする、という考えに基づいている。こうなると、集団生活を送る小学校では大変である。この先生は生徒を信じてアスペルガーということを公表したが、親からの反感もきっと買ったに違いない。しかし、私はこの公表はけしていけないことだとは思わない。知ることは大切だと思う。いじめは解決することが大切だけれど、障害がある子が小学校で生活するにはみんなの理解と協力が必要だと感じた。

 いじめがこの世からなくなることは決してないだろうと私は感じている。みんな人間だから誰か苦手な人もいるし、人を羨むことだってあると思う。でもそれは、防げることだし、心のうちで治めなければならないことだと思う。最初からできる子どもはいないだろう。それを成長させてあげるのが教師の仕事だと感じた。もちろん知識のほうもたいせつだけど、子どもの精神面を支え助けることが、彼らの将来、生涯につながる。教師はとても大変な職業であると共に、やりがいもあり、責任重大な仕事だと思う。今回挙げた三つのケースはあくまでも例であり、実際教室では何が起こるかわからないのが、教室だ。そのために臨機応変に対応する力を養っていきたいと感じた。
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 私の一番関心があることは、子どもの貧困についてです。ここでいう貧困とは食べ物にも事欠いているとか、衣服もボロボロである、といった「目に見える貧困」だけではなく、社会における一般的な習慣や行動を行うことができるかということも含みます。子どもの生活においては、高等教育への進学といった、教育の機会の損失だけではなく、修学旅行に行けないとか、クラブ活動ができないなど、ほとんどの子どもが享受している生活ができない状況が挙げられます。このような貧困状況の子どもたちとそうでない子どもを比べると、学力テストの点数や進学率をはじめ、健康状態、児童虐待、非行などのさまざまな指標において、貧困の子どもは不利になっており子どもの貧困解消に公的支援が届いていないように思います。子どもが安心して生活できる環境づくりのために、政府が地域、学校からの声をくみ取りサポートしなければならないと思います。

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 教育というと、幼児、児童や生徒が思い浮かべられるだろう。しかし、今最も注目しているのは、「高齢者に対する生涯学習」である。以下の安達(2010)の言葉にもあるように、今後私たちは超高齢社会という新しいフェーズに突入する。 

現代、グローバルエイジングの時代に突入したといわれている。これは、地球規模の高齢化を意味しており、高齢者が全人口に占める割合の世界的な上昇傾向を指している。今や高齢化は、人類全体にとって共通のきわめて重要な課題の1つといっても過言ではない。

安達正嗣(2010)『高齢期家族研究のパースペクティブ再考』より
 

 人類にとって少子高齢化は目を背けられない課題となっている。経済成長にともなう生活水準の向上と医療技術の発達は、死亡率の低下と平均寿命の上昇に影響を及ぼし、高齢化を進行させている。21世紀後半、日本は高齢化が深刻になった。先進国の中でも少子高齢化は特に深刻であり、ライフコースの変化と共に、退職後の第二の人生(欧米ではThe third age)をどう過ごすかが問われている。職場から地域へ、仕事から余暇活動へライフスタイルを変化させることは容易ではないだろう。

 さらに「生きがい」だけではなく、高齢者の生涯学習活動は、高齢者の自立を促し医療・福祉予算の抑制においても健康長寿国家として重要な役割を果たす。

 日本では東日本大震災後、「地域の絆」や「無縁社会」という言葉が頻繁に聞かれるようになった。核家族化が進む中で高齢者は認知症、オレオレ詐欺や孤独死などの諸問題を抱えている。そこで、従来教育の視野から外されていた高齢者にスポットを当て、第二の人生を豊かに送るための、生涯学習が今後さらに必要であると考えられる。現に、日本では教育基本法3条において「生涯学習の理念」が定められ、学校教育だけではなく、「豊かな人生」を送るための一生涯を通した学びが重要視されている。

 今後、さらに身近なコミュニティーを活かした生涯学習の場が設けられ、高齢者に対応したユニークな生涯学習プログラムが多く実施されていくであろう。現在は老人大学や文化センター、公民館での学びの場がある。

 高齢者も学習を楽しみ、過去に培った知識や経験をいかして、それを高齢期の生活で社会に還元し、活躍できる場を積極的に設けることで、「生きる楽しさ・喜び」を得られる生涯学習の必要性が高まっている。