ジタプレ(自宅学習期間中のプレゼント)
中国地名の表記について思うこと
 1組 2組 3組 4組 5組
番号は便宜的なものです
2011年2月
クラス、番号が不明の人が4人います。未掲載の人、クラス・番号を書いて、再送信してください。
1 自分は中国地名の表記を漢字に統一すれば良いと思う。
読み方は自国の読み方でも表記を漢字にすれば同じ物として認識出来ると思う。

外国地名全般の事に言える事は、外国の地名は外来語と考えてカタカナ表記に統一すれば良いと思う
(中国などはお互い漢字を使っているので共通の文字を使って表記して、読み方は自国のもので)
2 私は外国地名及び人名の現地音表記に反対する。

なぜなら、日本読みには日本の歴史が色濃く反映されているからだ。
例えば「オランダ」を「ホランダ」と呼ばないのは南蛮貿易の歴史を、中米諸国をアメリカ風に発音するのは戦後の日米関係を反映している。
日本語読みに反対すると言うことは、すなわち日本の歴史を否定することになる。

しかし、日本史において、特に近現代においては、「否定すべきところがある」があると指摘する人がいるかもしれない。

確かに、戦時中に日本が韓国に行ったことは簡単に許されるべきことではない。
そして、韓国人が日本語読みされることに不快感を感じることは十分理解てきる。

しかし、ここで現地音表記にしたところで(実際そうしてしまったが)、なんの解決になるだろうか。
それより重要なのは、例え韓国人に対して日本語呼びしても、何も不快感を感じないように、日本が戦時中の行いに対して責任を取り、日韓関係を修復することではないか。

我々日本人は、日本語読みを貫くべきである。
そして、その事で問題が生じるようであれば、現地読みに切り替え逃げるのではなく、しっかりと問題に向き合い、解決するべきである。
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まず自分の結論から言うと、社会科において外国地名の表記は、地理と世界史は現地音に忠実にカタカナで、日本史は日本語読みにすべきだと思う。もともとの課題は、地理と歴史で分かれているが、自分は世界史も日本史と区別すべきだと思った。その大きな理由として、2008年に開催された北京オリンピックである。日本の場合は「北京オリンピック」を現地の読み方である「ペキンオリンピック」と読んでいた。しかし、北京オリンピックの開催国である中国は開会式やロゴマークには中国では「ペキン」と読むはずなのに、英語読みである「ベイジン」が採用されていた。つまり、開催国である読み方をしてもおかしくないのに英語読みしているということは、オリンピックが世界の大会であり、また英語が世界の共通言語として使われていることが原因にあげられると思われる。
自分は今現在、社会科の中で表記が違うが、それには理由があり、地理は世界という枠組みがある中で使われているので、現地読みなっている。逆に歴史は、日本を中心としてみているので日本語読みになっている。だから、それらの理由を踏まえて、自分にとっては2つの読み方を覚えるのは大変だが分けるべきだと思う。だが、日本史は日本から見ているが、世界史は世界という枠組みから見ているので、問われてはいないが、歴史の中でも日本史と世界史に分けて、日本史は日本語読み、世界史は現地読みにするべきだと思う。
4

僕は中国地名を現地の読み方で統一したほうがいいと思います。

 その理由としてまず旅行時、「どこどこに行きたいです。」と言う時に日本語読みしか知らなかった場合通じないという残念なことが起こると言うのが大きな理由です。
 他にはテストなどで、世界史では「せいあん」、地理では「シーアン」とそれぞれ別の読み方で覚えるのはめんどくさくまた、ややこしくなり世界史と地理を関連させにくくなるということ。日本語で読むよりも中国現地の読み方で読んだ方が頭が良さそうに思われるなどということがあげられます。
 
以上のことより僕は、現地読みで統一するべきだと思います。

5 英語の読み方にするべきである。
中国は今急成長を遂げていて、日本に来る中国人と中国へいく日本人は今後も増えていくだろう。日本で生活している分には不便はないし、中国の地域などは読みと漢字が対応していて読みやすい。しかし中国人との会話の中で通じないのは不便である。
先日中国人に道を聞かれたが、「渋谷」という文字を見せられるまでどこの話をしているのか全くわからなかった。両国のみならず世界中で多く用いられている英語での読み方で統一すれば、よりスムーズに会話が進められるだろう。
また日本には熟字訓がある。「時雨」を「しぐれ」と読むように「西安」を「シーアン」と読むと習っていれば、特に違和感もないのではないだろうか。
今まで日本語読みをしていた人たちのことは気にしなくてもいいだろう。必要がある人は現地読みを覚えるだろうし、必要のない人はそのままで構わない。お年寄りに最近の意味で「マジやばい」を言う機会など滅多にないのと同じである。
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C 学ぶ人によって読み方は変えるべき
その地名を初めて学ぶ人に対しての教科書等では日本語読み、その地名の呼び方を両方知っているという前提で書かれた書物、またはニュースなどでは現地読みにすべきだと思う。
地理を学ぶにおいても歴史を学ぶにおいても、学習する側にとって大切なことはその地名を覚えることである。だから、まず地名を生徒に覚えさせるための教科書では地理歴史に関わらず、日本人にとって覚えやすい日本語読みにすべきであろう。例えば、「西安」を「シーアン」と呼ぶか「せいあん」と呼ぶかについてであ るが、初めてこの地名を学習する人からすると、「せいあん」の方がずっと覚えやすいだろう。逆に「西」を「シー」と呼ぶ例は少ないだろうし、ましてや両方覚えるのには他の地名と混合する可能性もあり、覚えづらい。現地に行った時に覚えた言葉が通用しないことよりも、多くの地名の呼び方があり、複雑であるために、その 地について理解する人の減少の方が余程怖い。
だが、覚えた地名やそこで起こった出来事などを日本でしか活用できないのは勿論問題である。新聞、専門書、世間一般に流れるニュースでは現地読みをした方がいいだろう。(新聞には漢字表記しかないのだが)
7 (紙で提出)
「・・・地歴によって中国の地名が異なっていてもいいと思います・・・」
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A:現地音で統一すべきだと思う。

 理由は3つ。1つ目の理由は地理と歴史とで区別していたら面倒臭いからである。1つの地名もしくは人名について2通りの読み方をしていたらそれだけで覚える内容が増えてしまって大変である。また、地理と歴史、両方に大きく関わる人物が登場してもそれぞれ別の名前で覚えていると即座に関連させることができないかもしれない。

 2つ目の理由は、現地を訪れた際に日本語読みでは通じないと思うからである。もちろん現地読みを覚えたからと言ってそれが完璧に通じるわけではない。発音やイントネーションを知らなければ現地人と会話はできないのだが、それでも日本語読みよりは通じる。逆の立場で考えてみよう。日本にやってきた中国人が例えば渋谷に行きたがっているときに「渋谷」と中国語で言われてわかるだろうか。言うまでもないが、わからないだろう。

 3つ目は感覚的なものだが、現地読みできた方が何となく格好良いからだ。格好良いだけでなく、中国地名ならではの雰囲気も出る。

 これから中国と強い関係を築いていくのなら小国の日本は中国に対して敬意を払ってまず地名の呼び方から変えてはどうだろうか。

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10 僕は地名は現地読みにすべきだと思う。
 そもそもその地方の言葉で名付けられたものなのだから、そこでの読み方に従うべきではないか。例えば、英語圏の地名をわざわざ中国語に置き換えないだろうし、ドイツ語変換もそうそうしないだろう。そんなことをしていると幾つも地名が生まれ一つに絞ることができなくなる。だから現地の言葉を尊重して一つに統一していいと思う。
 同様な意味で、正直リオグランデ川やグレートディバイディング山脈、大鑚井盆地もできるだけやめてほしいとおもっている。
 また、歴史では確かに地名は日本語読みだが、我々一般人と一番馴染みがあるのは報道や中華料理だと思う(雲南省、上海、北京ダック、広東風…など)。そこでも現地読みが多いので、やはり現地読みに統一しても大変ということはないと思う。
 他にも、中には「恋人」とかいて「こいびと」と読むか「Lian ren」と読むかで意味が違うように、日本語読みで捉えられないものを持ったものがあるかもしれない。

 もちろん個人間では日本語読みでも構わないだろう。しかし、特に報道や教科書などの一般(公共)向けのものは最低限現地読みにしたほうがいいと思っている。
11 C 現地語読みと日本語読み、両方を適切に使い分ければいいのではないか。

日常会話など、基本は現地読みを使った方がいい。文字だけではなく、その読みにも国の文化が反映されているので、「読みやすいから」という理由で勝手に現地読みにしたりするのは、その国の人々に失礼だからだ。

しかし、歴史を学ぶときは例外的に日本語読みを使うべきだ。歴史を学ぶときには、当時の社会はどうだったのか等を、想像、理解しようとすることが大切だ。当時日本で日本語読みが使われていたのなら、歴史を勉強するときにはそれに合わせないと、より深くまで当時の様子を理解するのは難しいだろう。

以上のように、普段はその国の文化を尊重するという意思の現れとして、現地読みを使い、学習の手助けになるなど、特別な場合だけ、日本語読みを使うようにするべきだ。
12 中国地名は統一する必要はない(C)と思います。地名というのはそもそも、その場所を表す言葉ですが、それが実際にそこに住んでいる人に通じるかどうかは関係ないのです。たとえばロシアの首都の「モスクワ」は現地の発音で「マスクヴァー」となり、イタリアの「ベニス」は現地では「ヴェネツィア」と呼ばれています。このように日本での呼び名が現地で通じないパターンは数多く存在するのです。これらをすべて現地音に統一することはできないし、メリットも少ないと思います。
そのため、地名に関しては利便性より歴史性が重要になってくるのだと考えます。地理は現地音を忠実にカタカナで書く一方、歴史に関しては、昔から使っている日本語読みを使っています。中国の地名は時代によってかなり変化をしているため、その時代に日本で使われていた表記が歴史では使われているのだと思います。たとえば現在の「西安」は殷の時代には「豊邑」、周の時代には「鎬京」と呼ばれ、漢の時代には「長安」となり、何度が変遷したのち明の時代にようやく「西安」に落ち着いています。このように、歴史では地理と異なり、一つの場所も時代によって使い分ける必要が生じるため、伝統的に使われてきた日本語読みを使われているのだと思います。
以上のことから、中国の地名に関しては、利便性よりも歴史性を重要視した上で、日本語読みと現地読みのどちらか一方での統一は必要ないと思います。
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C 私は地理と歴史では中国地名の読み方が違っていてもいいと思う。

 地図では今の世界での呼ばれ方、現地音で表記するべきだと思う。名前には意味があり、それを勝手に違う呼び方にするというのは失礼になると思うからだ。名前を間違えて呼ばれるのは誰でも嫌だと思う。

 しかし歴史では日本語読みの方がいい場合もあると思う。歴史というのは当時の人の考えを反映しているものだと思う。当時の人間が日本語読みで中国地名を読んでいたなら、現地音に変えずにするべきだと思う。地名というのは人の考えをよくあらわすものだと思うからだ。例えば、日中戦争の発端となった盧溝橋事件だが、盧溝橋を中国語読みをするとルーコウチアオとなる。だからといってル―コウチアオ事件と呼んでも日本人の理解は得られないと思う。事件をどう捉えていたかもわかりにくくなる。

 また現地音ではないが日本語として定着しているものを変えることは難しい。北京は日本語でペキンと読むが、現地音ではベイジンと読む。(正確には日本語の発音では表せない)明らかに現地音とは違うが、日本人の意識を変えて変えてベイジンと読ませるのは難しく、またそこまで意味があるとは思わない。

 新しく地名を呼ぶ場合は現地音に忠実に表記すべきだが、慣用として定着したものを無理に変更することはしなくてもかまわないと思う。

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B
日本語読みにすべき。
まず、表記は漢字表記にすべきである。地図帳などでカタカナ表記のものがあるが、これはよくない。理由は三つ。第一に、中国語の発音は複雑でカタカナに表そうとするとやたら長くなり、読みにくい。(例:天山山脈→ティエンシャン山脈) 第二に、確実に中国人に伝わる。英語の使えない中国人であっても漢字を書けば、絶対理解される。(10月に中国に行ったときはそうでした) 第三に、カタカナよりもなじみがある。新聞等でも漢字だし、今さら四川省をスーチョワン省、天津をティエンチン、広州をコワンチョウなどと書かれても戸惑うだけだ。
 
表記を漢字にするのならば、読み方は日本語読みになるのが自然だろう。「成都」を「セイト」でなく「チョンツー」と読ませるのには明らかに無理がある。
 
以上。地名表記を現地音に忠実にしようとするのには限界がある。多言語国家だったらどうするのだろう。世界の共通語である英語での表記を原則としつつ、我々がもっとも慣れている表記にすればよいのではないか。変に統一しようとしても混乱が生じるだけでメリットはないと思う。現に誰も困っていないのだから。
15 A 現地読みがいいと思う
現地での読み方があるなら、わざわざ日本語の読み方をしなくていいと思う。
理由としては、もし現地読みではなく日本語読みで覚えていたら、日本の中ではその読み方で通じるかもしれないが、その国に行ったときには通じない。その国の地名なのに現地に行った時に使えないのはおかしい。
それに、勝手に自分の都合のいいように名前の読み方を変えてしまうのは失礼だと思う。自分の名前が違う読み方で言われたら嫌な気持ちになる。
地理と歴史での読み方を統一するのは賛成だ。中学生の時に歴史で、現地読みと日本語読みがあって混乱してしまったから、地理と読み方を統一したほうがありがたい。
16 B 日本語読みで統一するべき。
まず現地音に忠実なカタカナ表記によるメリット(と言われるであろうもの)について考えると、大きなものとして「(日本語表記と違って)現地でその現地音を活用することができる」というものがあると思う。
しかしそれは実際間違いである。その理由は、簡単に言えば英語と同じで、現地で英語を日本語風に発音したところで全く通じないのである。
ともすれば、「現地での活用」という面ではどちらも変わりないのである。この事実を考慮すれば、「日本人も慣れている漢字を、自然に読めばいいので簡単で、覚えやすい」日本語表記にした方が利点がある。

中には「現地の言葉を日本語よみにするのが失礼」という意見もあるが、自分は、「日本語読みを使うのはあくまでも日本の教科書等であり、対象者は中国人でなく日本人なのである。すなわち、母国で母国語を使うのだから逆に誇りをもっていても良いと考える。また、もしも現地へ行くのなら、たかが教科書の読みなどあてにせず、現地の本格的な発音、言葉を使えばいい。」と考える。

また、単純に自分達は試験を受ける学生であるということも考えて「覚えにくい」よりも「覚えやすい」方がいいと思う。
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18 自分は、中国地名の読み方は現地音に統一すべきだと思います。これからその理由を2つほど挙げていきます。
1つ目は、率直に地理と歴史で読み方が違うと不便であるからです。中学の地理の試験で「中国で特別行政区に指定されている都市を1つあげよ(香港を除く)」という問題があり、自分は「深圳」という都市が頭に浮かんだのですが、ちょうどそのころ歴史でも「しんせん」という風に習っていたので、漢字が分からなかった自分は回答欄に「しんせん」と書きました。結果、一応○はもらいましたが、先生に「本来はシェンチェンと書くべきなのですよ」と注意されたような気がします。また、高麗(こうらい、コリョ)、高句麗(こうくり、コグリョ)、新羅(しらぎ、シルラ)などもややこしかったことを覚えています。
2つ目は、固有名詞であるのに国によって読み方が違うのはおかしいのではないかという点です。特に人名なんかではそう思います。例えば「李成桂」だと教科書では「イ・ソンゲ」と「り・せいけい」という2通りの読み方で表記してあります。自分の名前が2通りで呼ばれるのは違和感が有ると思います。前に姉が香港へ行ったときに、自分の名前を広東語の読み方で呼ばれていたそうです。日本人なのだからわざわざ現地の読み方に合わせる必要はないと思います。
しかし完全に統一するのにはかなりの時間と手間がかかるので難しいとは思います。
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C「その他」
 僕は、地名に関しては「地理」的読み方(現地読み)、「歴史」的読み方(日本読み)があっても良いと思う。
 そもそも地名というものは、人間に知られた為に付けられている便宜的な名前なのである。それを一つに統一することは、人に思想を押し付けることにつながってしまうと思う。
 現地の人々が今まで現地語で現地に名前を付けていても、それが世界に知られたときには、また新たな名前になる。そして、世界の各言語のフィルターを通してまた新たな名前になる。・・・だがそこで、不便だからという理由でその名前を、日本での名前のみにまとめてしまうのはいささか横暴であるように思う。現地の人々からすれば、自分のいる場所に付けた意味的価値ある名前が、別の言語で全く違った意味を持って言われることはあまり気持ちの良いものではないだろう。例えば、コロンブスが到着したアメリカ大陸だが、コロンブスはそこがインドだと思って、原住民をインディアンと呼んだ。今、インディアンと呼ばれた人々は、その名前で呼ばれることに大きな抵抗を持っている。つまりはそれと同じ事であり、現地の地名を別の言語、とりわけ呼ぶ者の母国語(今回ならば日本語)における名前だけで覚えてしまうのは現地の人々に対して相当失礼な事ではないだろうか。不便、便利ではなく、人々の意志を尊重すべきであるように思う。
 だが、一方で、現地語だけで呼ぶことを強要することもまた横暴であると思う。先の例であるインディアンのように、不便・便利以上に現地の人々にとって不快であるならば呼称を変えて然るべきであるが、そうでないならば、現地の呼び方(読み方)の他に、他国特有の呼称があってもよいだろう。なぜならば、呼び方(読み方)というものには「歴史」があるからである。人々がずっと「ペキン!」と慣習的に言い続けてきたものを、いきなり「明日からあそこはベイジンなんだ・・・」というふうにするのもおかしな話である。これはひらがななどにも通ずるものであると思う。ひらがなは、もともと中国からやってきた漢字を崩したものであり、それを「ひらがな」と読んでずっと使ってきたのであり、明日から「これは元々中国のものだから、明日から全部漢字だよ」と言われても無理だろう。ひらがな自体が日本で大きく発展したためである。地名もこれと同じで、各地で各地ごとに発展した由緒ある呼び方(読み方)を、今更変えてしまうのはいささか強引すぎる。日本語読みも日本にあって良いだろう。もっとも、最初に呼ばれた時から現地の呼び方(読み方)なのであれば、現地の呼び方(読み方)で構わない。
 当然、この二つが混在すると混乱を招く(現に招いている)。だからといって、いきなり1つにまとめるのにも僕は反対である。大事なのは、「地理」的読み方、「歴史」的読み方のどちらも理解することだ。国際的にその地名を表現するときには現地読みが適しているだろうが、国内ならば国内で発展あるいは開発した読み方が適している。地名は便宜的な名前なのである。使い分けることが肝要であるように僕は思う。
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私は中国地名は現地読みがいいと思う。
まず、第一に旅行にいった時である。旅行に行ったときに現地読みではなく日本語読みで「せいあんに行きたい」と意思表示しても現地の人は「せいあん」が何か分からないため混乱してしまう。
第二に「自分が現地の人の立場」になって考えてみた。中国の漢字の読み方は日本と違うことがあるので、もしも中国の人に「○○に行きたい」と言われてもわからない場合がある。
何より地名というものは慣習や風土や文化といったものの表れだと思うので、現地の人々に失礼な気がする。
日本の歴史の教科書はたとえ世界史であっても、やはり読み手は日本人なので日本人向けに作られてしまう。そうすると日本語読みになってしまう。
しかし、私個人としては文化といったものを尊重したいので、読みにくかろうと現地読みがいいのではないかと思う。
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1組 2組 3組 4組 5組
22 A:現地音で統一すべき
 
私は中学受験も高校受験もしていないので、受験勉強で悩んだというのには当てはまらないのだが、やはり普通に授業を受けていて、地理と歴史で同じ土地を違う名前で扱われてこんがらがってしまった覚えがある。
そして、特に現地に直接行ったときに一番困ると思う。電車に乗るにしても、タクシーに乗るにしても、行きたい場所の地名が言えなくては話にならない。
私の父は出張でよく中国に行くのだが、やはり現地音で正確に覚えているし、話をするときも現地音で会話の中に登場する。
勉強の面でも、旅行の面でも、使い分けるという意味のない無駄なことをするよりも、現地音をカタカナでよいから統一した方が失礼もないし、国同士の距離も一歩近づけると思う。
また、イギリスなど、日本独特の呼び方をしている国についても、我々日本人は考えるべきだと今回この題を考えている間に思った。
23 B 私は中国地名は日本語表記で統一するのが良いと思います。
現地音で表記されていないのは中国の地名だけではありません。メキシコやハイチも現地音で表記されていません。全て英語の発音に近い音で表記されています。これは、日本人にとって英語というものがいかに大きな存在であるのかを表していると思います。日本は言うなれば単一民族国家なので、多言語に触れる機会が他の国より少ないです。日本人にとって、外国語と聞いて真っ先に思いつくのが英語なのです。実際、高校で英語は必修なのに中国語は必修ではありません。社会全体がこのような状態なのに、慣れない現地音表記を無理に使う必要はないと思います。ただ「北京-ペキン-」のように慣用的に使われている読み方はそのままでいいと思います。
結論として、社会全体がが中国語にあまり対応できていないのに、教科書だけが文化を尊重しようと頑張っても混乱を招くだけだと思います。
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C:その他
わたしはCの現地語読み、日本語読み、どちらも残すべきだという考えを持っている。
まず現地語読みについての考えは、地理などの地図上で意識して国を捉える場合、例えば地名と同じ固有名詞である名前に置き換え考えると、本当の読み方を違う読み方で言われると不快感をおぼえまた違和感を感じる。
なお、現地に行ったときに現地語読みできず日本語読みである場所を伝えようとしてもきっと現地の方には伝わらないだろう。
このようなことを考え、かつその国のことを尊重するという意味でも現地語読みの表記をするべきであると思う。
しかし、史実に基づいて考えるとこれは日本語読みすることが適切なのではないだろうか。
理由は日本が歴史上で中国を占領したことがあるということ。その当時は事実上日本が中国を実行支配していたのだから中国も日本の一部となっていたわけで中国の地名も日本語読みすることが正しいと言えるのではないだろうか。
確かにいつまでも日本語読みを残すということは中国の方にとって失礼なことなのかもしれない。だが、あくまで史実のことなので過去のことを学ぶという意味では日本語読みをした方が良いのではないか。
よってわたしはこのような考えからCを選択した。
25 A 私は中国地名の読み方を現地音で統一するべきだと考える。
日中間では自国に適した読み方で良いことになっているようであり、日本語読みの方が私たち日本人にとってはなじみやすいと思う。しかし、日本語読みは、日本でしか通用しないことである。国際化が進む現代で、且つ世界的大国となりつつある中国の地名であるならば、国内での読み方で統一させることが、今後の国際社会を円滑に動かすことに繋がるのだと思う。
また、地名といっても大切な「名前」である。日本の地名を、外国で別の読み方をされることを考えると、その「名前」を傷つけられているかもしれないと思ってしまう。やはり、現地音統一し、その国を尊重することが重要なのではないだろうか。
日本語読みで覚えていた地名を、今さら現地音で覚え直すことはとても大変なことだろうが、現地音で統一するようになれば、地理や世界史で中国を学習する際も、現地音であれば日本国内の地名との違いがはっきりし、他国の地名であることがきちんと認識できる。こういった自国との違いを認識することで、見えてくるものがあるように思う。
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B 私は、日本語読みに統一したほうが良いと思う。
 
 それぞれの国での土地の呼び名の違いは歴史を証明すると私は考えるからだ。確かに中国人にとって、自分たちの土地の名前が違う呼び名で呼ばれるのは気に食わないかもしれない。しかしここで、なぜ日本人には日本語読みのほうが馴染み深いのかを考えると、かつての中国と日本の関係が見えてくると私は思う。もしも中国が日本から遠く離れたところにあり、二国間にはまったくの交流がない状態でグローバル化された現代に至ったとしたら、中国の地名は日本でも中国読みで統一されていたのではないだろうか。しかし実際には私たちは古くから中国と交流があり、多くの人が両国間を行き来してきた。関わりが深くなるにつれ、中国の地名は、日本では日本人にとって呼びやすい日本語読みに変わっ ていったのでは、と私は思う。つまり、中国が馴染み深い存在になるにつれて、中国の呼び名も馴染み深いものに変化していったのではないかと思うのだ。
 また、近代の中国と日本の関係も関わってくるのではないかと思う。日本は中国を植民地にしようとしていた。これは中国の民族的文化を踏みにじる行為であり、地名の呼び名などの中国独自の言葉も、支配の対象だったと私は考える。
 このように、土地の呼び名には両国間の歴史や関係が潜んでいると私は考える。また、土地の呼び名は人々が長い間使ってきた言葉の一部であり、その呼び名に至る歴史や両国間の関係は確かな事実と考えて良いと思う。逆に、その事実を証明するのに、それぞれの国での土地の呼び名の違いは重要な材料になると私は考える。
 無論、私たちが中国の西安を「せいあん」と呼ぶ時、私たちはかつての中国と日本の歴史や関係を意識しているわけではない。しかし私たちが中国の地名を日本語読みで呼ぶのには背景がある。そのことは中国と日本だけではない。かつて世界中で、交流や共存や支配といった関係で結ばれていた国や民族がたくさんあった。土地の呼び名もそれらに左右されて変化したり、同じ土地が違う国では違う名前で呼ばれたりしているのだ。大切なのは、自分たちの土地が違う名前で呼ばれていることに疑問を感じ、その背景を知ることではないかと私は思う。
27 まず、この問題を考えるにあたって前提となる考えとして、日本人が勉強する地理において何故逆に中国読みの地名が必要なのだろうか。私達自身の視点であらゆる事を捉えているのだから、日本読みの表記で良いのではないだろうか、というのが私の考えである。勿論、現地読みを知るという事は世界共通の言葉を知るという事になる訳で、そういった意味では様々な利便性が考え得る。だから、全ての教科において地名を扱う時日本語読みにすべきだと主張している訳ではない。
例えば英語等は、述べるまでも無いが日本とは異なる国の文字を勉強しているのだから、英語表現の日本と異なる微妙なニュアンス等を知る事も大事になってくる訳で、要するに外国の国の立場からの視点を要してる教科といえるのではないか。だから日本読みなど意味を成さないのだ。また歴史においては同じような観点から述べる事が出来る。歴史では外国の地名を扱う時、その事物に関わるあらゆる国の視点を考えねばならない時が多いように感じる。日本単体としてその事物を捉える時も無いとは言えないが、歴史という教科の本来の主目的は世界の出来事も同時に学ぶという事を考えると、外国と日本を様々な観点から結び付けられるようにする事なのではないかと思う。つまり、歴史においてはグローバルな視点が必要になるので(地理という教科よりは)こちらこそ現地読みにすべきだと考える。
他のヨーロッパ地域など漢字を用いない国に関してはカタカナで良いと思う。今までの私の考えからすると、現地読みにすべきだろうと一見思えるが、ヨーロッパ地域等と中国では決定的な違いがある。それは日本で公共的に使う文字が漢字であり、それが中国の地名にも用いられているという事である。カタカナで表記すれば、それは漢字に等なるはずが無く、日本語では無いと言うのが視覚的に瞬時に認識され、いくら日本読みを用いたとしてもそれとは異なる現地読みがあるという事実は揺らぐことが無い。つまり、この現実はグローバル性に伴う利便性を失うことは無い。一方で中国の地名を読むとき漢字が書いてあれば、それは日本語でも使う文字である事実から日本読みで世界的に通じてしまうという可能性が考えられてしまう。そうすると現地読みを知る機会が簡単に言えば消極的なものになってしまう訳で、こちらの方は利便性を失う事になる。
最初に述べた事物に対する立場という点と利便性についての考えから、私は中国地名は地理において日本読み、歴史においては現地読みが適切であると思う。その他の外国地名においては、どちらとも日本読みで良いだろう。
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<C>今のままで良い
確かに、教科ごとに地名の読みが違うと覚えるのが大変だが、今決まっている制度をわざわざ変える必要はないと思う。その方が、覚え直す必要があるので負担も大きいからだ。ただ、もしどうしても変えなければならないのなら、カタカナで現地音に忠実に書くのが良いと思う。中国は同じ漢字を使用しているが、読みは日本とは違うため漢字で書くと読みがわかりにくくなるので、カタカナで書いたほうが便利だと思う。
29 A 私は、現地読みに統一したほうがいいと思います。
 この課題を見たときに、昔テレビで観た卓球の大会を思い出しました。(少し話はそれますが…。)
その大会には、ある中国の選手が出場していたのですが、その選手の名前が日本語読みになっていました。私はその時、名前なのに現地読みではないのはおかしいのではないかと思いました。しかし、一緒に観ていた父に話すと、父は、「無理に現地読みに近づけようとしても通じないのだから、日本語読みでよい」と言います。もしも自分の名前が変な訛りで読まれていたら嫌だろうと、こう言うわけです。
そこで、考えてみると、私は自分の名前と全く関係ない呼び方で呼ばれるくらいなら、少しでも自分の名前に近い音で呼ばれるほうがいい、と思いました。私は、キャサリンとかベッキーとか呼ばれるのは嫌です。
 だいぶ話はそれましたが、要するに、個人名と同じ個有名詞である地名は、現地読みすべきだと思います。
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私は現地音と日本語読みの二通りがあってもいいと思う。
中国語だと漢字が用いられているので二通りの読み方が出来ると言うが、実際その漢字が全く現地で用いられている漢字と同じという訳ではない。なぜなら日本語にない漢字も中国では用いられているからだ。
確かに、その現地での読みは尊重すべきである。しかし、急に日本でも現地音を用いると言われても混乱が生じるだけである。日本でしか使えない読みではあるが、日本には日本人向けに漢字をあてた中国の地名があるのだ。もし、歴史などでも全て現地音で表記するとしたら漢字ではなく読みをカタカナで表示するべきだ。繰り返すが、なぜならそれは中国で用いられている正式な漢字ではなく日本語の漢字をあてたものだからだ。そのような表記をするよりも現状を維持した方が分かりやすいだろう。
ここまで中国の地名だけに焦点を当ててきたが他の地名はどうだろうか。例えばエベレストは現地ではチョモランマと呼ばれている。だいぶこの呼び方は浸透してきたかもしれないがやはりエベレストと言った方が分かりやすだろう。また、オランダもオランダの一部、ホランドに由来する呼び名だが私たち日本人にとって実際の国名であるネーデルランドと言われても分からない人が多いだろう。このように、既に日本人に馴染んでいる呼び名なので無理に全て現地音にする必要はないと思う。
ちなみに、ウィーンやヴェネツィアなどドイツ語やイタリア語などの地名は現地音と英語読みの二通りが用いられている。ウィーンの英語読みはヴィエンナでありヴェネツィアの英語読みはシェイクスピアのベニスの商人で知られているベニスである。このように現地音の方が主流かもしれないが二通りの呼び方が一般化している地名もあるため必ずしも地名は一通りでなくてもいいのではないだろうか。
31 私の意見はAである。すなわち現地音に統一するべきだというのに賛成だ。
 現地音にしても、現地の人にはほとんど通じないという問題点はあるが、日本語読みよりはいいと思う。中国語の場合は漢字だから読めちゃう部分もあるが、他の言語ではそうはいかない。中国の地名だと教科書に2パターンの読み方が書かれていて、受験の時とかはこんがらがってしまって大変だった。
 確かに日本語読みの方が読みやすいのは分かる。今まで勉強してきた読み方が変わるとなると大変かもしれないが、私はもし統一されるのなら現地音にしてほしい。
32
わたしは、読み方はどちらでもいいと思う。現地の文化を尊重する、という現地読みの意見もわかるし、日本読みの方がわかりやすい、ということもあるだろう。だから、授業によって読み方は違うものでいいと思う。
地歴で混乱するといっても、それは主にテストの話だと思う。私は、歴史でも地理でも「漢字」を覚えることを優先させればいいと考えた。アメリカなどの地名はカタカナで統一されているから困らない。中国地名は迷うことのないように、漢字で覚え、テストのときは漢字で書くということを統一させれば問題はないはずだ 。
教科書に載っている読み方は便宜上なもので、現地では通用しない。ということがわかっているなら、読み方はたいした問題でなく、テストの統一を考えるなら中国の地名は「漢字」で覚えるべきだ。
33 A・現地読みに賛成

利便性を考えれば、日本が中国に合わせて読み方を統一するのが自然。中国に行って日本語読みで地名をいっても通じないのはこちらにとっても不便だ。そもそも同じ漢字圏といえど外国には違いないのだから、ヨーロッパの地名のように扱いをするべき。
現在、韓国の地名・人名はカタカナが通常である。ここ数年の韓流ブームが、日本人にカタカナ表記の受け入れをたやすくしたのだろう。
中国に関して、[日本の皆様が慣れていない]と訓読みをつづけているというのは中国を嘗めた態度ではないだろうか。
韓国はかつて日本の支配下におかれた過去があり、それだけ日本語読みに対する反発が強かった。中国に対しても、日本は満州などの因縁がある。日本独特の読みを押し切っているのは、中国からしてみれば不愉快ではないだろうか。
 
同様のことがもっと広い範囲についても当てはまる。世界のほとんどの地名は英語読みが基本となっている。そのため、ラテンアメリカの地名は現地読みとは異なる呼び方をされている。 日本にいたっては、JAPANと〔にほん〕とは全くの別物だ。
ところが一方で、パリのような大都市はPARISという綴りでフランス語読みをさせているのだ。
結局は過去から現在に至る国際情勢を反映しつづけていて、そのしがらみから抜け出せていないというように感じられる。

根付いた呼び名をいきなり変えるのは難しいことではあるが、少なくとも中国と日本間においては漢字という表記方法が一致している。日本側の負担としては音を訂正するだけなのだ。グローバルが進んでいる国際社会において、互いを尊重するという意味を込めた上でも現地読みは非常に有意義なものだと思う。
34 C 私は、基本的には現地語読みをするべきだが、日本語読みも忘れてはいけない、と考えます。

まず、基本的に現地語読みをするべき、と考える理由を3点述べたいと思います。
1つ目は、世界において日本語が通じる範囲が狭いことです。国内で通じても、現地で伝える為には、また別に固有名詞を覚える必要があるので、二度手間ではないか、と思います。

二つ目は、人名などを日本語読みにしてしまうと、失礼になるのではないか、ということです。
個人の名前の、発音やリズムが異なってしまうのは仕方のないことかもしれませんが、勝手に違う国の言葉に訳されてしまうことを嫌う人もいるのではないか、と思いました。

三つ目は、学生などにとって、地名の読み方を教科ごとに使い分けなければならない、というのは非効率なのではないか、ということです。

以上の三点から、私は基現地語読みにするべきだと思いますが、
「歴史」の視点から考えた時に、日本語読みがその当時の人々の考え方を表したものであるのではないか、と考えます。
よって、歴史的視点から考えるアプローチ方の一つとして、当時の地名の読み方、は使うことができると思うので、完全に日本語読みを廃止することには反対します。

よって、私の結論は、現地語読みにするべきだと思うが、日本語読みを完全に廃することはするべきではない、です。
35 【A】
現地読みがよいと言っても、ただ現地読みで表記することに賛成するわけではない。
日本人が「現地読み」と呼ぶ「シーアン」「ベイジン」などの読みは、あくまで日本人が現地読みだと思っているものであり、本当に中国語の発音をそのまま表記したものではない。日本語では中国語の発音を文字におこすことはできないのだ。それならば、日本人にとっては覚えにくく中国人には通じない「現地読み」に統一する必要はないのではないかと、私は思う。しかしだからと言って、日本語読みを貫くのはよくない。それを侮辱だと捉える人は少なくないだろうし、その感覚は間違っていない。私だって、自分の名前を中国語の発音で読まれたらむっとする。どちらに統一するとしても、それは最善とはいえないだろう。
そこで打開策として、現地読みで表記した上で、教育の場では教師がきちんと発音できるようにする、というのはどうだろう。「America」を日本では「アメリカ」と表記するが、その正しい発音は「アメリカ」とカタカナでそのまま読んだものではないということは、みんな分かっている。それと同じように、「西安」は「シーアン」と表記するが、正しい発音は「シーアン」とカタカナでそのまま読んだものではないといことをはっきりさせればいいのではないだろうか。
以上より、表記の上では現地読みに統一し、正しい発音を分かるようにする、というのが私はベストだと思う。
36
C:現状のままでいいと思う
 
 私は中国の地名の読み方は二種類あってもいいと思います。
 まず、日本風の読み方の利点。中国の地名には漢字表記があるので、漢字を使うことにはだれも反対しないでしょう。地名の日本語読みというのは、その漢字表記を日本人が読みやすい音で読んだもの(北京のような例外もありますが)。なので、漢字を覚えれば自然に日本風の読み方も覚えてしまうので負担にはならないはずです。日本人同士で伝える分には、日本風の読み方のほうが漢字と直接つながっているので、わかりやすいと思います。これは、アメリカを「米」とかいて「べい」と読むあの便宜的なやり方と同じようなものだと思います。
 しかし、西安は「西安」である一方「Xī'ān」でもあるので、できるだけ現地読みに近い発音を使うのも重要なことだと思います。しかし、たとえば英語圏の方が「TOKYO」と言ったら、アバウトな言語である日本語を使う私たちには伝わりますが、中国語はイントネーション命なので、「シーアン」と言ったところで微塵も伝わらないでしょう。なので、「シーアン」という読み方は、現地読みに近づけて読んでいるよという意思表示(自己満足)にすぎないのかもしれません。でもそれは大切なことです。本当はすべての地名を現地の正しい発音で覚えられたいいのだと思いますが不可能なので、精いっぱいの努力「カタカナ表記現地読み風」もあるべきだと思います。
 ところで中国語は訛りがすごく、北と南では話が通じないほどだと聞いたことがあります。中国の中でも、地名の発音は全然違うそうです。日本風の読み方はどこで使われている発音を基にしているのでしょうか。
 
西安の発音はWikipedia「西安市」http://p.tl/5Vw8より
37
A 現地読みで統一するべきだと思う。
   日本語と同じ漢字を使用していても、それは日本語とは異なる。地名はそれぞれ歴史などがからんでおり、それを日本人が日本語のほうが都合がよいという理由で日本語読みにしているのはどうかと思う。また、中国は人口も多く、現在世界でトップを走る国になりつつある。今後日本は中国とより深い関係を持つこととなると思う。このようなとき、中国の地名を現地読みで覚えておくことは、様々な利点を生むと思う。また、個人的にも昔、中国に地名を覚えるのに苦労したことがあるので、やはり現地読みに統一するべきだと思う。
38 A 現地語読みが良いと思う

地名は人名と同じようなものなので、それを勝手な読み方で読むのは不自然に感じる。地名や人名で大切なのは漢字の意味よりもまず音と文字自体だからだ。例えば”東京”は中国語で”ドンジン”のような音になるようだが、日本人としては東京は”トウキョウ”である。田代先生はたしろ先生であってティアンダイ先生ではない。音も含めて固有名詞(むしろ音が言葉の中心)だろう。中国や他の国の地名を日本人が発音するときも同じである。また、地名を他の言語風の読み方で呼ぶことは、授業でやったラテンアメリカの例のように現地の人にとって不愉快な場合もあるだろう。

地名が”名前”だということを考えれば、現地読みをするのが適当だと思う。

中国語風の読みはgoogleの翻訳サービスを参考にしました。
39 私は,現地音に忠実に表記すべきだと思います。
ヨーロッパなどでは日本語風に地名を言っても,現地音に近いものがあるので通じるかもしれませんが,中国では,漢字を書くなら未だしも,日本風に言ったら全く通じません。私も台湾人の従兄弟と話すときは,地名は現地音で話します。
そもそも,日本は中国とあまり仲の良い関係ではありません。これまでの時代背景などを考えても,現地の地名を日本語風に読まれていると,中国の方々は不快に感じるのではないでしょうか?
地名の読みも,その国独自の文化ととらえることが出来ると思います。それを現地音でない読みで統一するというのは,その国の文化を否定するということになりかねないと私は思います
その点において,表記は現地音に統一すべきだと思います。

しかし,日本風の読みも日本独自の文化をもった,伝統的な読みです。だから,ただその読みを削除するのではなく,
シーアン
西安
(せいあん)
のように,読み仮名を2つとも表記しておくのが良いのではないでしょうか。現地音を統一して教えるけど,歴史では日本文化としての読みも教えるという方法をとる。そうすれば生徒は混乱することなく2つの読みを知ることができると思います。
40 A現地読みに統一すべき
世界史で「セイアン」という読みになっているのは、「西安」と表記しているのが原因だと思うので、表記も、他の国のようにカタカナで「シーアン」と統一したらよいのではないだろうか。
そうすれば読みも自然と現地読みに統一されると思う。
しかし、これでは、根本的な解決になっていないと私は考える。なぜなら、「シーアン」は現地でも伝わるかもしれないが、その他の地名、例えば「ベトナム」は、「ウ゛ィエッナン」であるし、授業でやったように中南米諸国も日本でのカタカナ読みでは伝わらない。これでは、外国語を勉強する際にまた違いが生まれてしまい、紛らわしさを無くすために日本内での読みを統一した意味がない。
従って、私は結論として、読みは、現地の発音と忠実に発音し、表記は全て英語表記に統一すべきではないかと思う。
現実にはまだ難しいかもしれないが、今後日本が世界と協調していくためにも有効な方法になるのではないだろうか。
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