ジタプレ(自宅学習期間中のプレゼント)
中国地名の表記について思うこと
 1組 2組 3組 4組 5組
番号は便宜的なものです
2011年2月
クラス、番号が不明の人が4人います。未掲載の人、クラス・番号を書いて、再送信してください。
1 A:現地読みにするべき
 国際化が進んでいる現代において、外国の言語を日本語読みに変えてしまうのは、とてもナンセンスだと思う。今では多くの外国人と接する機会があるのだから、その国の国風を尊重すべきだ。それは、外国が日本に対しても同じで、郷に入っては郷に従えということだ。
 しかし、現地読みにすることで対立が起きてしまうこともある。前にニュースにあっと思う。Googleマップで竹島か尖閣諸島の表記が韓国・中国表記だったことに、日本が抗議したというものだ。(正確な情報が無かったのですが…) 現地読みにすることはつまり、その土地は自国のものと公にすることでもあるから、領土問題のある地域では対立が起こってしまうだろう。
 それでも現地読みすべきとするのは、対立を通して相手の国の歴史を知ることができ、多面的な見方ができると思うからだ。これからの国際社会において、自分の知っていることだけを信じるのではなく、多くのことを吸収し尊重できるようにならなくてはならない。その一歩として、現地読みするということに賛成だ。
2 表記や読みは記号である。国際社会で共通に通用すべきことや、現地の人の表現を重視すべきであることを考えると、現地音に忠実な表記や発音の方がいいと思う。外国地名の表現で覚えにくく、読み方も難しいのは明治の小説や歴史に出てくる漢字表記である。イギリス(英吉利)、フランス(仏蘭西)、ロシア(露西亜)、オーストリア(太利)、ロンドン(倫敦)、パリ(巴里)など、文学的な表現としてはおもむき←(漢字へ)はあるものの地理的には使えないと思う。
しかし、中国地名は、福建(フーチェン<ふっけん)、大連(ターリエン<たいれん)、天津(テンチン<てんしん)、広州(コワンチュウ<こうしゅう)、海南(ハイナン<かいなん)などと、日本風の読みの方が、漢字と読みが一致していて、覚えやすく、聞きなれている。韓国についても、済州(チェンジュ<さいしゅう)、慶州(キョンジュ<けいしゅう)、光州(クワンジュ<こうしゅう)。北朝鮮も平壌(ピョンヤン<へいじょう)など同様である。
また、僕たちの世代より年齢が上の世代の方が、より日本語読みをしている場合が多いような気がする。地理より歴史の方が日本語読みが一般的なのは、日本が長い歴史の中で外国の文化や情報を取り入れるときに、自分たちの生活や、慣習にあわせて変えてきたからではないかと思う。日本人の国民性や、島国であることなどが影響しているのかもしれない。
3
僕は、全ての地名の呼称を“英語表記”にするべきであると考える。

「現地で現地の呼び方を知っていないと通じない」という主張が多いようだ。
ではここで、中国の件を例に出してみる。現地呼びで地名を覚えたその人達は、中国語も話せると言うのだろうか。
いや、そうではないだろう。
そう、いくら現地で呼ばれる通りに覚えても、言語が違う限りそれはただの知識になりかねないのだ。

それゆえ僕達は、国際的に広く使われている英語を毎日のように学習しているのではないのか。
英語で覚えておけば、いざ世界に出た時にも一番役立つであろうし、今から統一すると言っても一番やりやすい。
もちろん、現地名が特に重要な場合や興味があり是非知っておきたい人の為に、現地呼びを参考で書くことは常にしておきたい。
しかしながら日本語読みについては、Wednesdayを「ウェドネスディ」と覚えたように勝手に作られ使われていくだろうから、始めから表記する必要はないと思われる。

統一をすべきであることは間違いない。
ならば、その言語はグローバルな英語にするのが最善だと僕は思う。
4 C 原則現地語読み、例外として慣用読みでよいと思う。

原則としては、本来の正しい呼称である現地語読みに統一したほがよいと思う。ただ、日本国内で浸透している日本語読みがあるならば、そちらでもかまわないと思う。
これは、化学物質におけるIUPAC名と許容慣用名の関係と類似していると考えられる。
(例として、酢酸のIUPAC名はエタン酸であるが、CiNiiで検索しても酢酸の場合は5000件近くヒットするのに対し、エタン酸の場合は6件だけである。)
もし、本来の意味での正しい呼称に統一すると、どこを指すのか通じにくくなるため、現実的でないと思われる。
5 中国の地名の表記は現地音に忠実にすべきだと僕は主張します。逆にそれぞれ国によって違う表記にした場合、各国間で食い違いが起きて、一手間掛かってしまいます。表記を統一することによって混乱を避け、且つ現地の人々を尊重できると思います。最近は日中間の国交関係があまり良い方向へ向かっていなかったので、これをきっかけに国交正常化することもできると思います。
また、私が思うのは、単純に現地音の方がカッコいいということです。
6 C:どのパターンでもよい

議題になっているのがあくまで日本国内での呼び方だから、好きにしていいと思う(侮蔑的でなければ)。
どちらもそう読む理由はしっかりしている事も、僕がCと考える理由になっている。

大体今からどちらかに統一するとシャンハイがジョウカイになるか、シセンショウがスーチョワンになってしまい、非常に面倒くさくなってしまう。

個人的には今まで日本読みと現地もどき読みの違いに驚いた事はあっても、不便だと思ったことはない。

中庸なC案でバランスを取るのがよいだろう。
7 C
現地呼称に一定の妥当性を認めるべきではあるが、慣用的な地名呼称がなんらかの不都合を生ぜしめないのであれば現地呼称を強制する必要はないと思う。

まず、地名には表記と呼称が併存することが多いが、成立上多く表記は呼称の表象であるので呼称について考えることにする。
同一表記に対する異なる「読み」はひとつの土地に対する同一名の別称ではなく、異なるふたつの呼称であることは上から帰結される。
また、土地空間が本来的に呼称を持つものではないことを鑑みれば、ある呼称の正当性を保証する理由は本来的には存在しない。これは現地呼称についても同様である。よって現地呼称の使用に義務は発生し得ず、慣用呼称も同等に扱われるべきであろう。

ここである呼称によって問題が引き起こされる場合を考えておきたい。例えば、現地の住民が不快に感じるような呼称が慣用的に用いられる場合である。道徳的に正しいかという議論はともかくとして、全体の状態として望ましくないことは確かである。
こういった問題の解決として、現地呼称の優位を認めることが可能である。各人が土地空間に身を置く以上、その土地について大勢が合意する地名呼称として形成された現地呼称を用いることは呼称による衝突を帰納的に解消する。

諸問題を避けることができるという意味で、現地呼称は確実な妥当性を有している。しかしそれ以上の意味を持つことはなく、慣用呼称は否定されないと考える。
8

中国語の現地音での表記に賛成です。

歴史の授業などで日本語表記と中国語表記を混ぜるくらいならはじめから中国語表記にしておけば楽でいいと思います。しかし、すぐに変えても混乱しかおきないので文科省の方で基準を定めてから時間をかけて少しずつ変えていく必要があると思います。

9 僕としては、現地名での呼称が理想的であると考えている。しかし、現実問題としてそれは難しい状況にある。

地名の発音というのは、つまり外国語を発音するに等しい。Schoolを「スコール」と発音するのは明らかに間違いであるように、北京を「ペキン」と発音するのも本来ならば正されるべきなのだ。

しかしそうならない大きな理由として、「慣用」という逃げ口がある。
北京のこと「ペキン」と発音しても、日本国内ではほぼ確実に通じるだろうし、そもそも自国の呼称でさえ慣用によって「にっぽん」と「にほん」で分かれてしまっているのだ。

何より、この「通じてしまっている」という事態が問題で、通じているのだから今更あえて正す必要も無いだろう、と妥協してしまっているのだ。

しかしながら、年々国際化が急速に進んでいる我が国において、相手国の地名の表記が不明確なのは潤滑な交流を進める上での障害となり、何より恥である。

よって冒頭で述べたように、相手国の文化慣習を理解する上でも、本人たちが呼んでいる名で表記するべきであろう。
10 C  日本語読みに統一した方がよいと思う。
すでに日本語読みが定着している「北京」や「上海」などの地名を、いきなり現地読みに変えることは難しいと考えられる。また、ただ現地読みを学ぶことだけでその国の文化が感じられるとか、カタカナで表現された、日本語に近い現地読みが現地の人に通じる、というようなことは考えられない。現地の地名をその国の人に伝える必要があるなら、現地の言語を学んで、その言語での地名の呼び方で伝えるべきである。以上の理由から、私は日本語読みに統一することに賛成する。
11 以前から、漢字で表記された地名を、日本語風に読むことに対して疑問を抱いていた。
例えば現地に行ったときに、地名を言っても伝わらない、ということになりかねない。なぜなら、歴史の教科書のような読み方は、日本独自のものだからである。グローバルな視点から言えば、日本語風の読みは全くの無意味である。
私の主観では、地理のような正式な読みをするのが適切で、寧ろ歴史に於ける方法に否定的である。

無論、日本語風の読みにもメリットはある。まず第一に、単純な音読みである場合が多いので、覚えることが少なくて済む。覚えるのは語句のみなので(正式な読みでは、例えば新羅という漢字表記で一つ、シラギという読みで一つ、計二つの情報の暗記が必要である。)、頭に入りやすいという利点はあるだろう。その他にも、例えば世界史に於ける固有名詞の読みが一様でないという難点を多少は乗り越えられる。この問題は、発音や同一人物を示す別な単語が存在するというような点で、教師側も生徒側も困難を極めている。従って、せめて漢字表記の地名だけでも一つに読みを統一しようと企てて考案されたのが、日本語風の読みであると思う。しかしながら、実際には地理と統一がなされておらず、余計に困らせてしまっている。
ならば、現地で通じる読みにどちらも統一してしまおうというのが私の考えである。暗記するときも、カタカナ語を覚える要領でやらない限り仕方がないと思うのである。出来れば世界史の固有名詞も何か規矩を設えて、混乱を避ける努力をして貰いたいものであるが、まずは価値が疑わしい日本語風の読みを無くして欲しい。
12
A 現地音表記に賛成です。
世界史Aの教科書をめくってみると、中国の地名・人物名はほとんどすべてが日本語読みになっており、現地音については触れられてすらいません。まるで、日本語として読むのが当然だ、と言わんばかりです。
しかし、ここには世界史を学ぶ際に必要な「すべての民族を平等に扱う視点」が欠落しているのではないでしょうか。
たとえば、私たちがアメリカの西部開拓について学ぶときには、一方で土地を奪われ、差別を受けた原住民族のことも必ず考えなければならないし、秀吉の朝鮮出兵は侵略戦争だった、ということも必ず教わることです。このように、現在の世界史がどの民族にも偏らない平等な視点を大切にしていることは明らかです。地名・人名に関しても現地読みに近いカタカナ表記が一般的になりつつあります。
しかし、なぜか中国に関してだけは、慣習から抜け出すことができな
いのか、現地読みをしていません。たとえ現地読みそのままでなくとも、なるべくそれに近いカタカナ表記にするのが、世界史を学ぶ上での姿勢として重要だと考えます。
13
私は今まで通り日本語読み、現地語読みを両立すべきであると思います。

そもそもある場所を何と呼ぼうと、それがその場所を表すということさえ明らかであれば、私たちの日常の利便性以外には何ら問題ありません。しかしその呼び名に目的を持たせたとき、ある問題がでてきます。土地に名前を与えるということはある目的のもと、他との区別を明確にし、その土地に何らかの意味を持たせるということです。大抵の場合その目的は"所有"であるわけで、土地の名前を決定することは、その土地の所属、つまり所有者を明確にすることになります。現代の私たちは過去にその土地に与えられた名を記号として呼んでいるに過ぎず、その名前自体に意味はありません。しかし明確な目的を持ってその名前を呼んだ場合話は変わります。例えば島根県沖にある島を日本では「竹島」、韓国では「独島」と呼んでいますが、指しているのは当然ながら同じ1つの島です。これは"所有"を目的として名前を呼ぶ、領土問題に置ける典型的な例です。独自の名前を"所有"の象徴としているのです。
もし私たちが1つの土地を1つの名で呼ぶとして、誰が何を基準にその名を選ぶのでしょうか。ある土地の"所有"集団がはるか昔から一度も変わっていないということはありえません。"所有"する集団が代わればその土地の名前も変わるでしょう。その数がそれほど多くなかったとしても、私たちがただ1つの名前を選択することは出来ないはずです。なぜなら名前を選択することはその土地の所属、真の"所有"者を明示することになるからです。移りゆく歴史の中で、真の"所有"者などというものを定義できるはずがないのです。
それらを鑑みると現在のように1つの土地に複数の名前があるのは(領土問題を除き)、所属不明瞭、共同所有あるいは"所有"の概念自体が失われている、と言えるのではないでしょうか。日本人が中国の地名をどうしようと、何も対したことは起きないでしょう。ただ名前に干渉するという行為が広がり、別の場所で名前を統一するとき、目的が紛れ込んでしまう危険がないとは言い切れません。ゆえに私は、中国の地名については現在通り特に手を加えることなく、様々な呼び名が混在していて良い、混在させるべきであると思います。
14
B私は日本風の発音で良いと思う。
現在、「北京」や「上海」などの地名は現地風の発音になっているが、中国語の発音は複雑で、実際の中国人の発音とは異なっているため、「ペキン」や「シャンハイ」と言っても「ホッキョウ」や「ジョウカイ」と言うのと同様に中国人には伝わりにくいだろう。相手国のナショナリズムを尊重するために、現地風の発音にした 方が良いという考え方もあるが、細かい発音まで気を配るまで尊重したことにはならない。日本語の表記で中国語の発音を忠実に再現するのは困難である。よって、日本人の間だけでもどの地名を指しているかわかるように、日本風の発音にするべきである。
15 A現地読み
自分は現地読みで統一した方が良いと思う。日本語表記だと世界史でも地理でも同じ名前で同じ土地について知ることができ、覚える分には簡単になるのでありがたいが、これだと日本国内でしか通じない。これから社会に出た時中国人と接する機会が増えると思う。その際に相手に伝わらないことが起きるかもしれない。
また、相手の文化を尊重するという事からも現地読みにするべきだと考える。
16 中国語は現地音に忠実に表記すべきである

考え
歴史において、現地音で表記せず日本語読みで表しているということは相手国(どこにおいても)の地名を自らの国の知識で解釈し、まるで自らの国の手中にあるかのような誤解を与えていると思う。表記する際には、自らの常識で相手のことを考えるのではなく、相手の常識に自らが合わせるような配慮が必要であると考える。つまり、相手国の音の表記にできるだけ合わせていくべきである。そういったことで国と国の交流も増えていくとも思うのでこのような結論に至った。
17
B…教科書や新聞等の読み方は日本語読みに統一してよいと思う。
実際に現地やその国の人と話すときなどはその現地の読みで読むべきだと思うが、日本国内でのみ流通するものは別に日本語読みでいいと思う。
当然、その国の言語によって発音しやすい音しにくい音はあるわけで、無理をしてまで外国語読みにこだわる必要はないと思う。
それに、日本が現地読みに統一したところで他国が日本の地名を日本読みに統一してくれるわけではないので、お互いが発音しやすく、親しみのある自国の読みをしていていいと思う。
よって僕は日本語読みで統一してよいと思う。 
18
19

中国読みに統一すべきである。

実際に中国語に触れる場面について考えた。例えば中国人が会話の中で「広州」を伝えようとしている時、筆記で「広州」と書かれたならば読み方など関係ないので日本人は理解できる。しかし口頭で「グァンヂョウシー」と言われた時に理解できる日本人は少ないと思う。そのため、将来中国人と中国語で接する可能性があるかもしれない身としては中国読みで知っておきたいと思った。授業での読み方に中国人自体は全く関係ないが、実際に国内だけでなく国際社会で使えるような教育をした方がいいのではないか。

20
B、僕は日本語読みにした方がいいと思う。
 そもそも英語も現地読みにはなっていない。それは多分、英語を母国語として使う人が自分たちの言語あるいは文化へのポリシーやプライドというものを持っているからだと思う。僕はそれら大切なものだと思う。自分たちの言語や文化を大切に思わなければ、他の言語や文化を尊重することができない。自分たちの言語や文化を大切にするからこそ多文化の人のそういった気持ちを理解できる。だから、僕は日本人にも日本語を大切にしてほしい。日本語おろそかにして外国の現地の言葉をどんどん入れるのはいけない。
 
余談ですが僕は三国志が好きなので、現地読みを取り入れると中国語の本を読んでいるみたいになってしまいます。(あまりに多くの中国の地名、人名が出てくるから)それに中国の地名、人名はかなり定着しているのでいきなり変えられたら混乱してします。いきなり曹操をツォンツォンなんて言われても困ります。赤壁や冀州、白帝城、成都、洛陽、許昌などの地名や劉備、関羽、張飛、趙雲、馬超、典韋、諸葛亮、呂蒙、陸遜、呂布、甘寧、周瑜、夏候惇、王允、凌統、程普、黄蓋、徐盛、龐統、孫策、孫権、孫堅などの英雄の人名のカッコイイ日本語読みが中国読みになったら萎えます。
21 C 地理においては現地読みで、歴史においては日本語読みで良いと思う。

 その土地の事をよく知ることは地理を学ぶ目的の一つであるから、本当の地名を知るという意味で現地語にした方が良い。また、実際にその地域に行って現地語読みをしたからといって必ず通じるわけではないが、まったくの日本語読読みで知っているよりは通じる可能性は高くなるだろう。そういった地理を学ぶ意味や利便性の面から地理においては現地語読みにすべきだと思う。

 日本の学校で教えられる日本史、世界史の名称というのは基本的に日本国内(日本語圏)でのみ通用するものである。歴史を複数の言語の間で話し合おうとすると、歴史上の名称はある言語(多くの場合は英語であると思われる。)から見て、その歴史上の事柄をどのように呼ぶかに依存している。だから、日本国内で「シーアン事件」と呼んだとしても直接的に相互に理解に繋がるとは考えにくい。
 また、例えば「旅順要塞」などは「りょじゅんようさい」と一般に読み、現地語の「リュイシュンようさい」という読み方は今まで聞いたことがない。また、「奉天会戦」や「満州事変」にも中国の地名が名称の中に含まれているが、奉天は現在、瀋陽と呼ばれており、満州も現在の地名としては使われていない。そういった場合、どこまで現地語の表記を貫くのか線引きが難しい上に、日本国内で深く浸透している呼称の変更によって後世歴史を学ぶ人々の混乱を招く可能性があることも考慮いれるべきだ。 逆に日本で現地読みが一般的となっている事柄については無理に日本語読みに直す必要はまったくないと思う。
1組 2組 3組 4組 5組
22

A私は現地読みに統一すべきだと思う。 

最近、世界史では、中国語ではないがコーランをクルアーン(地名ではないが…)、ソヴィエトをソヴェトというように現地読みで表記する傾向があるようだ。なので地理とも統一して現地読みで表記すべきではないだろうか。現地読みで統一した方が外国の人たちと共通の理解が得られるので便利だと思う。

現地読みは日本人にとって覚えづらく、発音しにくい。そしてカタカナでも表せないような複雑な発音の地名も存在すると思うが、既に中国の地名で現地読みで一般に知られているものもあるし、また今後の中国との関係を見据えると無理をしてでも覚える価値はあると思う。 

現地読みと日本語読みが混在しているとややこしくなってしまうから、どちらかに統一すべきだと思うが、それが無理なようであれば、日本語読みの後に追記で現地読みを書いておくのでもいいと思う。どちらにせよ今後使っていくためにも現地読みは知っていた方が良い気がする。 

23
C 地理では現地読み、世界史では日本語読みがいいと思います。

地理においての地名表記はなるべく現地に近付けるべきだと思うし、現地の読み方を重んじることが、地理を学ぶにおいて良い心もちになると思います。

一方、歴史においては日本人の視点から歴史を学ぶので当然日本人としての主観が入ることになります。そのため、日本語読みのほうが都合がよいと思います。

実際、私は現状で問題ないと思うので、現状維持でよいと思います。
24  中国地名は漢字の上に現地音でフリガナをふるのが良いと思う。日本語風の方が覚えやすいが、日本語読みで覚えてしまうと何かと国際社会では通用しないときが出てくるからだ。また、資料などで「シーアン」とあってもどこのことなのかわざわざ調べなくてはならなくなるからだ。
 中国地名に現地音をふることで自然と「西安」を「シーアン」と読めるようになると思うので、中国風だから覚えにくいとかいうことは無さそうだ。
 外国地名はその現地音に忠実にカタカナで表記するのは結構難しいと思う。また、中国地名であれば漢字の音と現地音が少し似ているので覚えやすいが、様々な言語から成る外国地名はなかなか覚えられないと思う。覚えやすいにくいで判断するのはあまり良くないと思うが、言いやすくて勉強しやすいのが学生にとってはありがたい。英語を習うなかで外国地名の日本風ではない言い方は学べるし、日本にいるなら無理して現地音で外国地名を知らなくても良いと思った。
25 A 私は中国地名は現地語の表記にするべきだと思う。
理由としてはいくつか挙げられるが、まず一番に思ったのは、私達が逆の立場であったらどう思うかということだ。日本の地名や人物など日本に関わることをどこか別の国の言語で表記されていたらどう思うだろうか。少なからず私は嫌だと思うだろう。
そもそも、地名など多くの言葉には、単なる名前ではなくその地域の歴史を表していたり、色々な意味が込められている場合があると思う。つまり、表記が違うことで、地名などの言葉に含まれる意味というものが薄れてしまうのではないかということだ。
確かに現地語にすることによって、覚えにくかったり読みにくいものもあるとは思う。しかし、都合の良いように表記をかえてしまうのは、その地域の人々にとって良くないと思う。
また、もう一つの理由としては、現代はもう国際化が進んでいるため、現地の地名を他国の言語で表記しても、現地に行った際などに何も役立てないのではないのかということ。
そのことを考えると結局は現地語の表記も必要となってくるだろう。ならば今からでも現地語の表記で統一すべきだと思う。
26

A 現地音表記に賛成

 これまで日本史や世界史などの教科書で見てきた中国の地名や人名などはすべてが日本語に変換されている。そして、わたしたちは小さい時からそのような表記を見て暗記、学習してきているためそれが本当の地名だったり、人名だったりと考えてしまう可能性もないとはいえない。

そんな状況を逆の立場に置き換えて考えてみたらどんな気持ちだろう。わたしはとても不愉快だと思う。自国の大切な建築物や自然などを、他国で勝手にまるで自分たちのもののように名前を変換されるのは誇りを侵されたような気はしないだろうか。名前1つだって、その国でしっかりと意味をこめられ創りだされた、大切な文化なのである。

互いの文化を尊重しあうことがよりよい協力関係へと導いていってくれるのではないだろうか。

27 B教科書の表記については、日本語読みに統一するべきだと思う。

理由のひとつは、どちらかに統一した方が生徒として楽だからだ。また、なぜ日本語読みかというと、現在の地理表記のカタカナでは現地の中国の人に伝わらないなら、あまり覚える意味がなく、また、日本国内にいる限りは日本人内で共通理解が得られるのならば日本語読みでも問題ないと思ったからである。

しかし、もし実際に中国に行くとなれば、その知識だけでは当然十分ではない。そのため、中国に行く際には、現地人にも通じる現地読みもまた別に覚えるべきだ。それは他の国に行くときも共通することだと思う。
28 C:原則として英語の発音に準じたカタカナ表記。例外として慣用読み。

なぜ英語の発音に合わせるのかといえばひとえに世界的な通りの良さがあるからである。現地の人も、自分の住む場所の英語読みを知っている可能性は高いだろう。
現地の人に対しては現地の発音を尊重して会話がしたいという考えもある。しかしそういうときは現地の人に直接「どう発音するの?」と訊けば良いのである。
自分の文化と関わろうという人間が自国の発音を尊重しようとしないのならば失礼だと憤慨しても無理はない。しかし他国で、他国の発音で地名を呼ばれたくらいで揺らぐような文化などそうはないだろう。
もちろんメキシコのような例もある。だが、当然のように「メヒコ」という地名を使えたとして、そこにこめられた背景を知らなければどれほどの意味があるだろう。普段聞きなれているのが「メキシコ」であれ「メヒコ」であれ、大切なのは背景を知り、自分で判断することだ。
要するに何が言いたいのかというと、授業で教わるときに表記はそれほどの重要性を持たないということだ。とりあえず利便性を考えれば英語に合わせるべきだと考えたが、不便であっても譲れない、確固たる理由を持って読むべき(と自分が判断する)地名があるならば自分で覚えればいいのである。むしろ自分でそれを選ばなければ価値がないのである。

余談だが「例外として慣用読み」というのもまた利便性を考えてのことである(イギリス、ペキンなど)。慣用読みを今更矯正するのは面倒だし、先ほども言ったように授業での読みにそこまでの必然性は求められていないと思うからだ。
個人的な意見を言えば、慣用読みは利便性を抜きにしても使うべきものだとは思っている。とくにイギリス、スペイン、ポルトガルといった、かなり古くから入って来ていた地名である。
現代において英語を習った身からすれば明らかに聞き間違いの産物のような気もするが、これは日本の歴史と文化が強く表れた、もはや日本語といって差し支えない言葉だと思うのである。
29 C 日本語読み、現地語風読み一生懸命両方覚えたほうがいいと思う。

なぜなら両方いいところがあり、また現実的に考えてどちらか一方に統一するのは難しいと思うからだ。
まず日本語読みについて述べると、日本語読みは覚えやすいというところがいいと思う。例えば「西安」は「シーアン」と覚えるより「せいあん」のほうが漢字と読みが連動して簡単に覚えられると思う。それから「福建省」など日本語読みで定着しているものもあるので、それをいまさら現地語風読みに統一したら混乱すると思う。

今度は現地語風読みについて述べると、もし現地語を意識した読み方で読むことによってその国を尊重している事にとらえられるのであれば、日中関係がよりよくなるかもしれないので現地語風読みもできたらよさそうだと思う。

以上により両方覚えたほうがいいと思う。
30
C.漢字地名以外は統一。漢字地名は現状維持
漢字は表意文字であり、中国でも、漢字である日本の地名は中国語読みしているようだ。だから、漢字文化圏内では相手の文化を尊重するなどと考える必要はないと思う。また、漢字の地名を日本語風に読んだ方がなじみやすいというメリットもあると思う。しかし、表音文字を用いている国々では、表意文字を用いている国々より、発音を重要視するのではないかと思うので、可能な限り、英語読みなどではなく、現地の発音に近い表記にした方がよいのではないか。また、大幅に変えることは混乱をまねくと考えられるため、可能な限り、変えない方がよいと思う。よって、漢字地名以外は現地読み、漢字地名は現状のまま、というのが私の提案です。
31
C…一概には言えない

この課題をするにあたって、現地読みについて調べてみた。私がまず疑問に思ったのは、『中国は日本の地名・人名をどう読んでいるのか』ということである。

「中国語には日本語におけるカナや韓国・朝鮮語におけるハングルに相当する表音文字がない。ピンインと呼ばれるローマ字がきの方法もあるが今のところ使われているわけではないし、漢字とローマ字をまぜてつかうということもおこなわれていない」、「日本人の名前は漢字のままつかい、中国式に読ませている」ということらしい。では中国は日本の地名や人名を日本語読み、つまり「現地読み」していないということになる。
しかし、中国が日本の地名・人名を日本語読みしていない(またはできない)からといって、日本が中国の地名・人名を中国語読みしない理由にはならないと思う。

ところが、他にも調べてみたところ、「中国語の声調と、日本の発音は互いにあまりにかけ離れたもの」、「中国語をカタカナ読みしても、まるで意味が通じない」らしい。「あまりに」「まるで」という表現には疑問を感じるが…確かに中国語と日本語は発音においてあまり近しいところはないようだ。ということは、中国と日本は互いに地名・人名の読み方を尊重することが難しいといえるだろう。
カタカナを使って表記してもある程度の中国語の発音の知識がなければ現地では通じない。しかも、中国の読み方は日本人に馴染みのない読み方であることが多い。(例えば「胡錦濤(こきんとう)」と「胡錦濤(フー・チンタオ)」ではどちらが日本人にとって覚えやすいだろうか?)よって、現地読みにすることのメリットはあまりないことになる。

でも日本にはせっかく便利な表音文字であるカタカナというものがあるのだから、現地読みももっと表記してもよいのではないだろうか。なぜなら、「日本は外国を尊重している」という姿勢を徹底することで、諸外国からの評価も変わると思うからだ。さらに、現在の世界の風潮としてグローバリズムは不可避である。その中で、欧米諸国は現地の発音に近い形で読むのに、お隣の中国は日本語読みというのは対外的によくないと思う。また、有名な中国人は中国語読みで呼ばれているのだし(リン・チーリン、チャン・ツィイーなどタレントが多い)、それを政治家や地名にも広げてもいいと思う。
世界史と地理での違いは私たちにとっても好ましいことではないが言語的な背景を理解しつつ日本語読みと現地読みをどちらも覚えるのも良いのではないだろうか。

参考HP
http://www1.ocn.ne.jp/~kanamozi/hikari875-0203.html
http://rkrc5w2q.dyndns.org/cache/korea/kaba.2ch.net/korea/kako/1003/10033/1003328134.html
http://chie.mobile.yahoo.co.jp/p/chie/qa/view?qid=1247473272&start=1&ySiD=8rNVTdis8AILaRaVZE18&guid=ON
32 発音は別として、漢字は古くから中国固有のものであり、文化であり、それまで中国がたどってきた歴史の表れなのである。
 例えば「長春」であれば、日本人がその文字から何を感じ取るかと中国人がその文字から何を感じ取るかは全く異なっていると思う。この点に関しては外国地名にも同じことが言えるはずだ。
 私が1日本人として「長春」についてぼんやりと感じ取れることは「春が長い。春というのは温かみがあり柔らかい雰囲気を持っている平和的なイメージがある。そこから、平和がずっと長く続くことを願ってつけられたのではないか」ということだ。
 当たり前だが日本人とその土地の人の考えは、言語が異なるように違っている。従って、中国地名はその土地古来の伝統や風潮を生かして、地図帳上でも日常的な読み方としても、中国で読まれている読み方にし、表記方法も漢字またはそのままの読み方をカタカナ表記にすべきなのである。
 一方で歴史では日本と中国は密接に関係してきた(戦争などによって中国を迫害したりした)ことで、日本独自の考えが優先され日本独自の読み方をされている。歴史上では地理よりも日本と中国の関係がより重視されるため、自国の読み方が優先されているのだ。
 生徒の立場として、地理と歴史で読み方が違うのは困るが、読み方の上にもその国の考えが汲み取れる場合があり興味深いので例え読み方が違っていても色んな読み方ができ学べてより学習に効果的であると考えられる。
33 中国の地名は中国語読みをすればいいと思います。
中国語の発音は日本語の発音とは違い、イントネーションをつけないとほとんど通じないので、どんなに日本で中国風の読み方をしたところで、たぶん中国では通じないということはわかっていますが、後述の方法で表記・読みを統一する際に漢字圏だけ日本語読みと混ざってしまう(今ももしかしてそうかも?)となるのは良くないと思うためです。
一方で、外国の地名についてですが、これはカタカナ表記をやめるべきだと思います。すべて現地の言葉で書いて、カタカナでふりがなをふればいいと思います。
実際の発音と全く同じ、というのは難しいですし、極論を言えば世界中の言語を習得しなければ不可能 ということになってしまうのでしょうけれど、せめて表記くらいは現地の言葉で書ければ、現地に行ったときに筆談で会話が成り立つとおもうからです。そこにカタカナのふりをつけて統一すればいいのではないのでしょうか。
人名も同様になるとありがたいです。今、現地読みに近い読み方にいろいろな物が少しずつ変わっていますが表記は漢字を日本でも使うから漢字圏だけ現地の表記をするというのは、すこし納得がいかないので。
とりあえず誰かが規格のような物を決めてくれるとありがたいなと思っています。
34 私は、地歴で読み方が違うことに不便を感じたことはあまりない。読み方が2つあると思えばいいじゃないかと割り切っている。だからかも知れないが、読み方なんてどちらでもいいと思う。
個人的な意見として、歴史は古いものを学ぶのに対し、地理は比較的新しいものや日々新しくなっていくものを学ぶ気がする。昔は今のようにグローバルでなかったから、現地の人がどのように発音するかなんて分からなかった。だから、日本語読みするしかなかった。江戸時代の歴史が日々変化したりはしないから、読み方は変わらず受け継がれてきたのだろう。だが、地理の情報は更新されていく。農業国から工業国へ。国がくっついたり離れたり。昔の地理の教科書がどうだったかは分からないが、たとえ昔、現地読みをしていなかったとしても、情報が更新されていくうちに現地読みになったのは必然だと思う。 いくら今現在中国が大国に成長中であっても、あと何世紀かは英語が主流だろう。アメリカ人がどのように地名を呼ぶかを知っておけば、自分の国の中でどっちの読み方を採ろうと、あまり関係ない気がするのだが。要は、分かればいいというわけだ。
※この意見は、テストでどちらの読みを書いても大丈夫だということを前提にしたものです。
35
A 現地音に忠実にカタカナ表記したほうがよい!
なぜならばアメリカの地名などはそのまま現地音で表記しているから。
それなのに日本は漢字を知っているからといって日本風にするのはおかしい。もし漢字を知らなかったらもちろん現地音にするはずだから、それをわざわざ日本風にかえて読まなくてもいいはず!
日本風にすると逆にまぎらわしいし、現地音で覚えてたほうが実際中国に行ったときもなにかとわかりやすいと思う。
あと、現地音にすると「同じ漢字でも中国ではこんな風に発音するのか~!!」ともれなく中国語のお勉強にもなる!!!
だからわたしは、現地音に忠実にカタカナ表記したほうがいいと思いました。
36 A現地読み派

今回の趣旨に添わないが、読み方以前に、漢字で表記しないでカタカナで表記すればいいと思う。中国は日本と同じ漢字だから、こういう問題が起こるのであって、外国の地名は全部、カタカナにすればよい。つまり、西安をシーアンというように、現地読みをカタカナで表記する。そうすると、このように現地読みが自然になるので、Aを支持する。西安と書くこと自体、モスクワをロシア語で書くのと同じことだと思う。ほとんどの地域がカタカナなのに中国とかだけ漢字ということに世界地図を見て気付いた。とはいっても、普段わたしは日本語読みをしているのだが、現地読みで言われた地名と自分の知っている日本語読みのその地名が対応しているのが分からないことがある。そのため、世界史と地理で統一するのは賛成であり、その上で現地読みに統一してほしい。
37

A 私は、中国の地名、人名を現地音読みへ統一した方がいいと思う。

現在、地理と歴史で、中国地名、人名の複数の読み方が存在している。そのままでは、日本で中国のことを学ぶ際、面倒であるし間違いが増える。

現地音読みに統一すれば、現地へ行ったときも分かりやすいし、現地の地名に馴染みやすいと思う。しかし、現地では「北京」を「ペキン」と言っても通じず、「Beijinでなければ通じないなどのイントネーションの問題があるが、全て統一するのは難しいと思うので(日本語でも、方言や、方言じゃなくてもイントネーションの差が出るから)、そこまで深く考える必要はないと思った。

また、人名を日本語読みにする必要性を感じなかった。中国語だと覚えにくいなどの欠点はあるものの、その人個人の名前なのだから、読み方をも尊重すべきだと私は思う。
38
☆A 私は中国地名の表記は現地語読みの方が良いと思います。
確かに、現地語読みだと、覚えにくいかもしれないです。でもそれが本当の地名だし、現地の人にとっても、勝手に名前をつけて呼ばれるよりは嬉しいんじゃないかなあーと思います。
日本人にわかりやすいようなカタカナ表記だと、中国人には伝わらないかもしれないですけど…せっかく新たに地名を覚えるなら、現地でも通じるような読み方で覚えたいです。いつか、中国に旅行に行ったり、中国人と話したりする機会があると思います。その時に、お互いに読み方が違うせいで、話が噛み合わなかったら困ってしまいます。
時々、教科書に載っている地名に、2通りの読み方がついていたりして、どっちで覚えればいいのかなあーと迷ってしまいます。だから、現地語読みのカタカナだけにする、というように統一してほしいです。でも今から変えるのは、すごく大変そうです…。
39 A 現地読みに近いカタカナ表示で統一すべきであると考える

正確な現地音を日本語であるカタカナで表現することは難しいと思うが、できるかぎり近い音で表記するべきだと思う。私たちが発音しても現地の人には伝わらないかもしれないが、私たちが現地音を聞いたときにその地名のことであると認識できる可能性が高くなるのではないだろうか。国際的な交流にあたって、少しでも現地の音に馴れておくことは私たちにとってプラスに働くはずである。

また、現地の人の気持ちを考えてみても、日本語読みをするべきではない。中国の言葉でつけられた名前であるのに、日本語読みをあてるだけで全く別の名前になる。自分たちの国の地名を勝手に呼び方が変えられては、不愉快であると思う。たとえば、東京のことを“Tokio”と言われたら、私は嫌である。

この二点から、私は現地読みに近い読みで統一すべきであると考える。
40 私は、中国地名は現地音で表記されるべきだと思う。
 そもそも外国の地名をわざわざ日本語の発音で読むのはおかしいことではないか。例えば地名だけでなく、中国の人名についても、日本では日本語音で読まれることが多いが、自分の名前を違う発音で読まれるのは決して好まれることではない。地名についても、その土地で呼ばれているように読まなければ、その土地の名前を知っていることにはならないと思う。
 また、中国語の地名や人名を日本語の発音で覚えてしまうと、漢字を使わない国の人とその地名や人名について話すことができない。たとえば英語やフランス語やドイツ語でTian’anmen と言われても、それが「天安門」だとすぐにはわからないだろう。今では国際情勢や天候や事故など世界中のニュースがすぐ手に入りまたいろんな国の人とそういう話題で話す機会も増えているのだから、表記法について世界中である程度の統一があった方がいいと思う。
 中国地名は漢字表記なので、日本語音になりがちだが、「メキシコ」といった国名が現地読みでないのはますますおかしいことだ。私自身、地理の授業で習うまでは、「メキシコ」が現地では呼ばれない呼び方だということを知らなかった。相手国のことを理解するためにも、その国がなぜそのような名前なのか、なぜそのように呼ばれるのか、といった歴史まで知ろうとすることが重要なのだろう。
1組 2組 3組 4組 5組
表紙