アメリカン・アンカレッジ
2015年6月22日
2015年6月
『重ね地図シリーズ 東京 マッカーサーの時代編』 という本(雑誌)に、八景島に「アメリカン・アンカレッジ」があるという記事があり、アジサイ見物をかねて行ってきました。

地理院地図使用。赤字はアジサイ見物で歩いたルート。
橋を渡って、左側に行けばアメリカン・アンカレッジです。
橋からも見えます。

アメリカン・アンカレッジについては、参考サイトをご覧いただきたいのですが、よくまとまったものがあったので、最初に引用しておきます(太字は引用者)。
http://naruhodogogen.jugem.jp/?eid=145&guid=ON&view=mobile&tid=1 より

 昨日2月3日の「NHK首都圏ニュース」(夜8:45)で、横浜で「ペリー提督停泊地記念碑」の除幕式が開かれたというニュースをやっていた。
 画面をよく見ると、
American Anchorage (アメリカン・アンカレッジ)」とあった。

 日本語に直訳すれば、「アメリカ(人)の投錨地」 。Anchorage (アンカレッジ)の語源は、anchor (アンカー=錨・いかり・投錨する・碇泊させる)+age (エイジ=名詞化語尾)で、「投錨地・停泊地」という意味である。
『ペリー艦隊大航海記』(大江志乃夫・立風書房)の「略年表」によると、(1852年より太陽暦使用)
「1853年 7・8 ペリー艦隊4隻、浦賀に来航(7・14 久里浜上陸・国書を手交)」
「7・17 ペリー来春の再来を約して浦賀を去り那覇に向う」
「1854年 2・13 ペリー艦隊7隻、江戸湾小柴沖に出現(のちさらに2隻増加)」
「3・8 ペリー、横浜で幕府応接掛と交渉開始」
「3・21 日米和親条約(神奈川条約)締結」
 この「太陽暦1854年の3・8」を 『江戸・幕末 和洋暦換算事典』で日本の旧暦になおすと
「嘉永七年(安政元年) 二月十日」となる。
 想像するに、昨日2月3日の「序幕式」は、この1854年2月13日を記念日とし、日を選んで行なったということになるだろう・・・

 小柴沖に関しては、『ペリー艦隊大航海記』によると、こうある・・・
「十三日朝、ペリーの艦隊は、〜前年に停泊地として選定した小柴沖のアメリカ停泊所に停泊した」
 だから、「American Anchorage (アメリカン・アンカレッジ)」というのは、「アメリカ停泊所」を翻訳したものだったのである・・・

 ちなみに、アメリカ・アラスカ州のアンカレッジについて、調べてみた。『世界地名ルーツ辞典』(牧英夫編著・創拓社)によると・・・
「「停泊地」。〜1915年、アラスカ鉄道の建設拠点がここにおかれ、白人人口が増加、本来のタナイナ語地名キニクは忘れられ、英語地名のアンカレッジだけが残って現在の都市名となった」

 日本の横浜市の小柴沖は「日本のアンカレッジ」ということになるが、小柴という歴史の第一歩となった地名を忘れるわけにはいかない・・・
アラスカのアンカレッジの語源については簡単すぎて今一つの感じがします。こちらの方が詳しいですね。http://q.hatena.ne.jp/1188376401の回答です。誤記説とネイティブアメリカン語説があり、前者の方を引用します(太字は引用者)。

1914年、アラスカ鉄道建設が始まり、資材搬入のための臨時の投錨地 (anchorage) がこの地に置かれた。そのとき作成された地図で、anchorage とすべきところを Anchorage と誤記してしまったため、一般名詞の投錨地ではなく地名のアンカレッジと思われ、定着してしまった。
のちに、1778年にこの地を訪れたキャプテン・クックが投錨した土地だという伝承が生まれた。
説明文です。
記念碑
地図を重ねているのが良いですね。
今昔マップで見てみました。
鳴らしませんでした(^_^;)。
■参考サイト
金沢区
横浜金沢観光協会
シーパラダイス

なお、説明文(現地の碑を含む)は、「碇泊」(ていはく)となっていますが、「錨泊」(びょうはく)(沖合いに錨を下ろして停泊する事)の方が正しいそうです。
田代博のホームページ