都内富士見坂(山手線内)がいつ見えなくなったか
2012年2月開始/2013年11月改訂/2015年サイト変更
 都内(山手線内)にある富士見坂の内、今も見えるのは2つだけです。見えなくなった富士見坂は、いつからそうなったのか、という質問を時々受けることがあります。その確認作業はたやすいことではありません。まずは文献から辿ってみることにします。2012年2月23日に発足した「路上富士楽会」の最初の仕事にしたいと思います。情報があれば是非お寄せください。適宜書き加えていきます。
山手線内にある十八の富士見坂
小著『富士山「発見」入門』に書いた表と地図を掲載します。EとKを除いて16とする考え方もあります。
@西日暮里  
   2013年6月22日 富士山が世界遺産に認定された日に見えなくなったことが確認される。
   変遷はこちら
A護国寺   (坂のプロフィール DFあり)
   今も見える唯一
B小石川 
   江戸時代 文化年間(1804年〜1818年)にはダメ
 出典『江戸の坂東京の坂』p57
 ・・・享保のころには富士も見えたそうだが、その後、約八十年たった文化のころになると、もう富士は見られなくなってしまった(『江戸志』)。
C小日向 
D本郷   (坂のプロフィール) (東都駿台はこちら?)リンク切れ
E目白台(高田) 
   1980年代までは見えていた
 出典「東京の富士見坂」(サイト)
 1980年代まで坂上から正面右手に富士山が見えていました。もう少し西寄りに坂が下っていれば今でも見えるかも知れません。
F学習院
G市ヶ谷
H駿河台  
I飯田橋(靖国神社裏)  (坂のプロフィール)
J永田町 
K迎賓館(赤坂) (参考)
L芝公園
M南麻布(新富士見坂)  (坂のプロフィール) (経過を記したサイト)
  1970年には見えていた(A)。1970年5月都営アパートのために見えなくなる(B)。
 A:出典『江戸の坂東京の坂』p58
 ・・・新富士見坂の上からは、まだよく富士が見える。坂の曲り角に富士見町町会で立てた「新富士見坂」の碑があって、昭和四年十一月と記してある。これはもちろん新坂である。
 同書の初版は1970年。
 B:出典 サイト「坂のある街の記憶 新富士見坂 青木坂あたり」 
 ・・・昭和45年5月、都電広尾車庫跡に14階建て都営アパートが建ち、ここも坂名だけの新富士見坂となった。
N南麻布(青木坂)  (坂のプロフィール)
 出典『江戸の坂東京の坂』p57
  早くから富士の見えない坂になってしまった。
 
O西麻布 
P渋谷
Q渋谷(宮益坂) (坂のプロフィール) (変遷がわかる)
  東横デパートができて見えなくなる(1934年までは見えていた)。
 出典『江戸の坂東京の坂』p53〜54
 ・・・今日はでもう富士は見られない。坂のふもとの左側に東横デパートができてから、ちょうどその陰に隠れて見えないのである。しかし、このデパートの屋上からは、左右に邪魔のない富士を見ることができる。
 「東横デパート」は、1934(昭和9)年11月に、創業をはじめた「東横百貨店」(現 東横店東館:地上7階)のことか?
 参考サイト 
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