西日暮里富士見坂から今も富士山が見えることの意義
2011年10月
2010年11月3日撮影
 東京には「富士見坂」が沢山あります。山手線内に18(16という説も)。山手線外23区内には5つ(田代による認定)、合計23の富士見坂があります。富士山のお膝元の山梨県や静岡県より遙かに多く存在しています。

都内(23区内)に合計23の富士見坂がありますが、今も見えるのは3つだけです。山手線内に1つ(護国寺)、山手線外に2つ(目黒、岡本<世田谷>)。
山手線外の2つはともに、関東富士見百景に認定されているものです。
 富士見坂を含め、東京に「富士見」地名が多いのは、それが「不死身」に通じるから縁起がよいとして、徳川家康が江戸に幕府を開いたという説があります(人文地理学会の会長もつとめた足利健亮さんが『景観から歴史を読む』(NHKライブラリー1998年)の中で述べています。確かに江戸城には富士見櫓もあります。
 この説の当否はともかく、江戸時代からの由緒ある、東京ならではの地名の一つが富士見坂なのです。
 その富士見坂の多くが建物によりどんどん見えなくなる中で、かろうじて富士山とわかる形で残っているのが西日暮里の富士見坂です(1990年からの変遷はこちらを参照)。山手線内では護国寺(大塚)の富士見坂と並び、"唯二"の存在です。誰が見ても富士山と識別できるのはここだけです。

 ところで、世界的視野から見ると、世界196の国の中で首都からその国の最高峰が見える国はわずかしかありません。更に3000m以上の高さの山が年間数十日(都庁からは85日)も見えるとなると、日本以外にはありません。その最高峰を、「富士見」地名から、地に足をつけて眺められる(これを「路上富士」と言います)となると、ギネスに登録されてもよいほどの貴重な存在と言えます。高層ビル、タワーなどに上がれば見えるのは当然ですが、地に足をつけて眺められる、というのが、自然との共生が主張される今の時代に何より重要なことだと思います。
 念のため述べれば、首都圏を中心に4000万人以上、全国民の30%以上がその国の最高峰を眺めることができるという国は日本だけではないでしょうか。可視域を含めた実態はこちらのデータ・地図をご覧ください。

 もう一度、西日暮里の富士見坂に話を戻すと、ややカーブした坂の形状も景観として見事です。富士山をかたどった街灯にも注目してください(装飾外灯といいます。こちら参照)。
 地元の人はもちろん、遠くから、ここからの富士山を眺めるためにやってきます。西日暮里駅から徒歩5分というロケーションの良さもあります。
 11月中旬と1月下旬にはダイヤモンド富士を眺めることができます。その時は、この坂道が何百人の人で埋まるほどです。全国区の富士見坂なのです。
 この富士見坂は20世紀最後の年に大きな危機を迎えました。幸い、かろうじて山頂を右斜面は残りましたが、これ以上富士山の見え方が損なわれるようなことがあっては絶対になりません(富士山の世界遺産登録が話題になっている今、その足を引っ張ることにもなりかねません)。
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